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1.次の各問いについて,最も適当なものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
(1) | 写真の切通に関わりが深い人物はだれか。 |
1 | 和田義盛 |
2 | 北条義時 |
3 | 日蓮 |
4 | 新田義貞 |
写真は釈迦堂切通。 この辺りに北条泰時が父義時の供養ために建てた釈迦堂があったことから付けられた名です。 釈迦堂の本尊は清涼寺式釈迦如来。 釈迦堂が廃絶した後は杉本寺に置かれていたようですが、現在、東京目黒の大円寺に本尊として安置されている像がそれだといわれています。 |
大円寺の釈迦如来像は、京都の清凉寺の三国伝来の釈迦如来と同じように絹や綿で作られた五蔵をもっていることから生身(しょうじん)の釈迦像と呼ばれています(重要文化財)。 |
(2) | 写真の寺院の境内に碑が残る人物はだれか。 |
1 | 長尾定景 |
2 | 大宅壮一 |
3 | 丸山定夫 |
4 | 新井白石 |
写真は龍寳寺。 境内には、江戸時代に城廻に家禄を得た新井白石の碑があります。 |
(3) | 「鎌倉之楯」の記述が初めてみえる,伊勢神宮文庫に所蔵される国の重要文化財である史料は何か。 |
1 | 『倭名類聚鈔』 |
2 | 『詞林采葉抄』 |
3 | 『神鳳鈔』 |
4 | 『天養記』 |
鎌倉之楯は、源頼朝の父義朝の亀ヶ谷館のこと。 義朝は、1144年(天養元年)、相模国の有力武士らと結んで伊勢大神宮領であった大庭御厨の押領を企てています。 その事件に関する文書が『天養記』。 |
壽福寺 |
大庭御厨 |
壽福寺は、源義朝の旧跡に建てられた寺。 大庭御厨は、鎌倉権五郎景政が開発した相模国最大の寄進地系荘園。 |
(4) | 永福寺について,二階堂の櫓の屋根に「玉の瓦」や「金の盤・雁灯」など,豪華な飾りが施されていたと記されている書物は何か。 |
1 | 『東関紀行』 |
2 | 『とはずがたり』 |
3 | 『海道記』 |
4 | 『十六夜日記』 |
『海道記』には・・・ 「重なる櫓には、玉の瓦、鴛の翅を飛ばし、両目両足の並び給える臺には、金の盤、雁燈をかかげたり」 『東関紀行』には・・・ 「二階堂は殊にすぐれたる寺なり。鳳の甍、日にかがやき、鳧の鐘霜にひびき、楼台の荘厳よりはじめて、林池のふもとにいたるまで、ことに心とまりて見ゆ」 と記されています。 |
永福寺は、源頼朝が奥州平泉の中尊寺・毛越寺・無量光院などを模して建てた寺院。 |
(5) | 次の鎌倉にある国宝のうち,最も古くつくられたものはどれか。 |
1 | 朱漆弓 一張 (鶴岡八幡宮) |
2 | 紙本墨画 凍雲篩雪図 浦上玉堂筆 一幅 (川端康成記念会) |
3 | 籬菊螺鈿蒔絵硯箱 (鶴岡八幡宮) |
4 | 紙本著色 当麻曼荼羅縁起 二巻 (光明寺) |
鶴岡八幡宮の朱漆弓は、源頼義が石清水八幡宮を勧請した際に奉納したものと伝えられています。 川端康成記念会の凍雲篩雪図の作者浦上玉堂は、江戸時代の文人画家。 鶴岡八幡宮の籬菊螺鈿蒔絵硯箱は、源頼朝が後白河法皇から下賜され、北条政子が化粧道具入れとして愛用したものと伝えられています。 光明寺の当麻曼荼羅縁起絵巻は、江戸時代に内藤家から寄進されたもの。 |
(6) | 松葉ヶ谷の法難のときに,日蓮を南面窟に導いたとされる白猿は何の化身か。 |
1 僧坊大権現 2 山王大権現 3 金毘羅大権現 4 秋葉大権現 |
松葉ヶ谷法難で日蓮の前に現れたのは、かつて修行した比叡山の山王権現(日吉大社)の白猿だったのだといいます。 |
南面窟 (安國論寺) |
日蓮の岩窟 (法性寺) |
草庵を焼討された日蓮は、白猿に導かれて安國論寺にある南面窟に非難し、その後、お猿畠(法性寺)に逃れたのだといいます。 法性寺の日蓮が避難したという岩窟の上には、山王大権現が祀られています。 |
(7) | 建長寺法堂の正面中央に掲げられた額には何と書かれているか。 |
1 | 建長興國禅寺 |
2 | 寳所在近 |
3 | 海東法窟 |
4 | 大光明寳殿 |
建長興國禅寺は、建長寺の山門(三門)の額。 寳所在近は、浄智寺の総門の額。 大光明寳殿は、円覚寺の仏殿の額。 建長寺の法堂に掲げられているのは、海東法窟。 |
建長興国禅寺 |
海東法窟 |
寳所在近 |
大光明寳殿 |
(8) | 日蓮が『立正安国論』で「国内に叛逆が起こる難」と予言したといわれる事件は何か。 |
1 霜月騒動 3 平禅門の乱 |
2 二月騒動 4 承久の乱 |
日蓮は『立正安国論』で「念仏を禁止して正しい教えを広めなければ外国の侵略があり内乱が起こる」 と予言しています。 外敵の侵略とは蒙古襲来(元寇)、内乱とは二月騒動のことといわれています。 二月騒動では、鎌倉で名越時章・教時兄弟が誅殺され、京都では執権北条時宗の兄で六波羅探題南方だった北条時輔が討たれました。 |
(9) | 鎌倉時代の「鎌倉」地区を示す唯一の絵図である浄光明寺敷地絵図は,鎌倉幕府の滅亡後に寺領を保護してもらうために描かれたものである。この絵図はだれに提出されたか。 |
1 上杉憲実 3 高師冬 |
2 上杉重能 4 上杉憲顕 |
浄光明寺敷地絵図の7箇所にある花押は上杉重能のもの。 |
浄光明寺敷地絵図は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての浄光明寺の境内の建物・寺域や周辺の景観・屋敷などを詳細に伝えるもの(重要文化財)。 |
(10) | 次のうち,2011年(平成23)に復興された英勝寺の山門の上層に安置されているものとしてあてはまらないものはどれか。 |
1 阿弥陀如来 3 弥勒菩薩 |
2 観世音菩薩 4 勢至菩薩 |
英勝寺の山門上層には、阿弥陀如来、脇侍の観音菩薩と勢至菩薩、その周りに十六羅漢が安置されています。 |
英勝寺の山門は、讃岐高松藩主松平頼重(徳川光圀の兄)によって建立されたもの(重要文化財)。 |
(11) | 延命寺の本尊阿弥陀如来像が「木あまりの像」といわれるのは,どの仏像の余った木材でつくられたからか。 |
1 | 円覚寺の宝冠釈迦如来坐像 |
2 | 覚園寺の薬師三尊坐像 |
3 | 建長寺の地蔵菩薩坐像 |
4 | 圓應寺の閻魔大王坐像 |
延命寺の阿弥陀如来像は、圓應寺の閻魔大王を彫ったあまりの木で作られたことから「木あまりの像」、また、予定より早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれています。 |
延命寺 |
木造閻魔大王像 (圓應寺) |
圓應寺の木造閻魔大王像は運慶作とも伝えらえる仏像(重要文化財)。 |
(12) | 江戸時代の鎌倉の絵図「鎌倉・江ノ嶋・大山新板往来双六」を描いた絵師はだれか。 |
1 歌川広重 3 東洲斎写楽 |
2 歌川国貞 4 葛飾北斎 |
「鎌倉江ノ島大山新板往来双六」は、日本橋から鎌倉・江ノ島・大山をめぐって日本橋へ戻るもの。 |
(13) | もとは鎌倉尼五山第一位太平寺の本尊であり,その仏殿に安置されていた木造聖観音立像を所蔵する寺院はどこか。 |
1 浄智寺 3 東慶寺 |
2 円覚寺 4 壽福寺 |
鎌倉尼五山第一位だった太平寺の本尊・木造聖観音立像は、東慶寺の松岡宝蔵に置かれています。 |
東慶寺の木造聖観音立像は、鎌倉地方独特の土紋装飾が施された仏像(重要文化財)。 |
(14) | 次の書物のうち,中世の鎌倉について書かれているものはいくつあるか。 |
『鎌倉日記』 『万葉集』 『海道記』 『今昔物語集』 『吾妻鏡』 『増鏡』 『東関紀行』 『十六夜日記』 『丙辰紀行』 『とはずがたり』 『蜻蛉日記』 『徒然草』 『新編鎌倉志』 『倭名類聚鈔』 『東国紀行』 |
1 9つ 2 8つ 3 7つ 4 6つ |
日本史における「中世」は鎌倉時代から室町時代。 『鎌倉日記』は江戸時代に徳川光圀が鎌倉を訪れた時の記録。 『万葉集』は奈良時代成立の最古の和歌集。 『今昔物語集』は平安時代の説話集。 『丙辰紀行』は江戸時代に林羅山が著した紀行文。 『蜻蛉日記』は平安時代に藤原道綱母が書いた日記。 『倭名類聚鈔』は平安時代の辞書。 『新編鎌倉志』は江戸時代に徳川光圀が作らせた鎌倉の地誌。 |
(15) | 次の文化財のうち,鎌倉時代~南北朝時代につくられたものはいくつあるか。 |
圓應寺「初江王坐像」 壽福寺「宝冠釈迦如来坐像」 建長寺「紙本墨画観音像」 浄光明寺「阿弥陀三尊坐像」 来迎寺(西御門)「如意輪観音菩薩像」 光明寺「紙本著色浄土五祖絵伝」 建長寺「黒漆須弥壇」 建長寺「紙本墨画喜江禅師像」 極楽寺忍性塔納置品「銅骨蔵器」 円覚寺「青磁袴腰香炉」 |
1 7つ 2 6つ 3 5つ 4 4つ |
鎌倉時代から南北朝時代のものは・・・ 圓應寺の初江王坐像 浄光明寺の阿弥陀三尊坐像 来迎寺の如意輪観音菩薩像 光明寺の浄土五祖絵伝 建長寺の黒漆須弥壇 極楽寺の忍性塔の銅骨蔵器 円覚寺の青磁袴腰香炉 壽福寺の宝冠釈迦如来坐像(脱活乾漆造釈迦如来坐像)・建長寺の観音像・喜江禅師像は室町時代。 |
(16) | 執権北条氏が行った政治を年代の古い順に並べるとき,正しい順序はどれか。 |
ア | 煩瑣な訴訟手続きの効率化・簡素化を図るしくみである引付を設けた。 |
イ | 北条氏の独裁色を強め,重要政務を「得宗」を中心とした「深秘の御沙汰」「寄合」と呼ばれる会議で決定するようになった。 |
ウ | 最有力御家人からなる評定衆による合議により,重要な政策が決められるようになった。 |
エ | 御家人救済のために「徳政令」を出すが,かえって御家人への貸し渋りが増えてしまう などの弊害が生じて,御家人の経済的な窮迫を助長する結果を招いた。 |
1 | ア→ウ→イ→エ |
2 | ア→ウ→エ→イ |
3 | ウ→ア→イ→エ |
4 | ウ→ア→エ→イ |
1225年(嘉禄元年)、三代執権北条泰時は、執権-連署の下に「評定衆」を設置。 評定衆は、1199年(正治元年)の宿老13人の合議制がその原型とされています。 1246年(寛元4年)に四代執権北条経時が北条時頼に執権職を譲る際に得宗による「深秘の御沙汰」が行われています。 1249年(建長元年)、五代執権北条時頼は「評定衆」の下に「引付」を設置。 1297年(永仁5年)、九代執権北条貞時は、貧窮に苦しむ御家人救済のために「永仁の徳政令」を発布。 永仁の徳政令の正確な内容は不明ですが、京都東寺の宝蔵に収蔵されていた「東寺百合文書」国宝)の中にその条文が伝えられています。 |
(17) | 鎌倉の交通について,次の出来事を年代の古い順に並べるとき,正しい順序はどれか。 |
ア | 江ノ島電鉄が鎌倉駅まで開通する。 |
イ | 大船-片瀬間に自動車専用道路が開通する。 |
ウ | 横須賀線の電化工事が完成する。 |
エ | 鎌倉駅前でハイヤーの営業が始まる。 |
1 | ウ→エ→ア→イ |
2 | ア→イ→ウ→エ |
3 | ウ→エ→ア→イ |
4 | ア→エ→ウ→イ |
江ノ電は1910年(明治43年)に藤沢駅ー小町駅間の全線が開通。 その後、小町駅は鎌倉駅に改称され、1949年(昭和24年)、現在地に移されました。 アの「鎌倉駅まで開通」は「小町駅までの全線開通」を言っているようですが・・・ 自動車専用道路の開通は1930年(昭和5年)。 横須賀線の電化工事が完成したのは1925年(大正14年)。 鎌倉駅前でハイヤーの営業が開始されたのは1916年(大正6年)。 |
(18) | 次の神社と建立した人物の組み合わせとして正しいものはいくつあるか。 |
ア | 甘縄神明神社 …染屋時忠 |
イ | 由比若宮(元八幡) …源頼義 |
ウ | 巽神社 …坂上田村麻呂 |
エ | 銭洗弁財天宇賀福神社 …北条時頼 |
オ | 小動神社 …佐々木盛綱 |
カ | 佐助稲荷神社 …工藤祐経 |
キ | 葛原岡神社 …日野資朝 |
ク | 鎌倉宮 …明治天皇 |
1 6つ 2 5つ 3 4つ 4 3つ |
銭洗弁財天宇賀福神社は源頼朝の創建と伝えられています。 佐助稲荷神社は源頼朝に命じられた畠山重忠の創建。 葛原岡神社は日野俊基顕彰のために明治天皇が創建。 |
源氏山周辺にある銭洗弁財天・佐助稲荷神社・葛原岡神社は恋愛・金運・出世のパワースポット。 |
(19) | 次の鎌倉の仏像とその作者と伝えられる人物の組み合わせのうち,正しいものはいくつあるか。 |
ア | 光触寺の木造聖観音菩薩立像 …成朝 |
イ | 来迎寺(西御門)の地蔵菩薩像 …宅間浄宏 |
ウ | 宝戒寺の本尊子育経読地蔵大菩薩 …三条法印憲円 |
エ | 英勝寺の阿弥陀三尊像 …康運 |
オ | 玉泉寺の本尊胎内不動明王 …願行上人 |
オ | 東光寺の不動明王立像 …智証 |
1 5つ 2 4つ 3 3つ 4 2つ |
光触寺の聖観音像は、宇治平等院の鳳凰堂の阿弥陀像を彫った定朝の作とされています。 成朝は、源頼朝が建てた勝長寿院の造仏を担当した奈良仏師。 奈良仏師は、定朝の孫とされる頼助が始祖。 興福寺を拠点に活動しますが、成朝没後に正系は途絶え、傍系の康慶、運慶らの慶派に受け継がれていきました。 英勝寺の阿弥陀如来像は運慶作と伝えられています。 康運は運慶の子。 鎌倉の伝統工芸「鎌倉彫」は、陳和卿が中国の宋より持ってきた彫漆工芸を真似て康運が仏具を作ったことに始まるといわれています。 |
(20) | 次の文中の下線部のうち,誤りはいくつあるか。 |
長谷の鎌倉文学館は,1936 年(昭和 11)に旧加賀藩前田家16代当主前田利建により建築された,鎌倉の別荘建築を代表する建物である。 元内閣総理大臣吉田茂が別荘として利用し,三島由紀夫の小説『潮騒』の一舞台ともなった。 相模湾を見渡す谷戸の中腹に ある立地を生かした,明るく眺望の良い庭がある。 そこにはバラ園があり,春にはバラまつりが開催される。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
鎌倉文学館は、加賀百万石前田家の別邸として建てられ、16代当主・前田利為によって改築されました。 内閣総理大臣・佐藤栄作が別荘として利用し、三島由紀夫は『春の雪』に描いています。 |
鎌倉文学館 |
バラ園 |
(21) | 次の文中の下線部のうち,誤りはいくつあるか。 |
カイドウは,鎌倉ではサクラに負けず劣らず人気のある花である。 「カイドウの寺」として有名な光則寺は,境内に5本のカイドウが植えられている。 本堂前の木は樹齢400年余り,市の天然記念物,神奈川県の「名木百選」にも選ばれている。 妙本寺には,1937年(昭和12)中原中也とともに見上げたと,大岡昇平が『中原中也の思ひ出』に描いたカイドウがあったが,現在は3代目になっている。 安国論寺の木とともに,かつてこれらは鎌倉三大カイドウともよばれていたが,残念ながら安国論寺のカイドウは古木になり枯れてしまった。 一方,海蔵寺のカイドウはまだ若木だが枝振りがよく,勢いのある見事な花を枝いっぱいにつける。 |
1 5つ 2 4つ 3 3つ 4 2つ |
光則寺の本堂前のカイドウは、樹歳200年ともいわれる古木。 テキストブックによると、植えられている本数は7本らしい。 妙本寺のカイドウは、小林秀雄が「中原中也の思ひ出」に描いたという木から数えて三代目。 |
光則寺 |
妙本寺 |
安国論寺 |
海蔵寺 |
(22) | 殺生石伝説に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 後白河天皇の時代,宮中で宴を開いていると急に屋敷が鳴動し,帝に侍っていた玉藻前が金色の光を発した。天皇は気絶し,以来重い病にかかってしまった。 |
イ | 狐の化身であった玉藻前は,正体がばれると逃げ去った。追っ手が那須野原でこの狐を射殺すと,天皇の病も全快した。 |
ウ | 那須野でこの狐の霊が石と化し,その石に触れると人や鳥獣がみな死んでしまうので, 殺生石として恐れられるようになった。 |
エ | 殺生石に報国寺の開山源翁禅師(天岸慧広)が経を読みながら金槌のような形をした鉄の杖で一撃を加えると,法力で殺生石は砕け散り,災いも止まったという。金槌を「ゲンノ ウ」ともいうのはこの伝説に由来するという。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
玉藻前(白面金毛九尾の狐)にたぶらかされて病気になったのは鳥羽院(テキストブックでは鳥羽天皇となっています。)。 伝説によると・・・ 那須野へ逃げた九尾の狐は三浦義明の矢で脇腹と首筋を貫かれ、上総広常の長刀でとどめを刺されたのだといいます。 しかし、その魂は石と化し、近寄る生物を殺す「殺生石」となりました。 その石を叩き割って成仏させたのが源翁禅師(心昭空外)。 |
海蔵寺 |
鎌倉地蔵 (京都真如堂) |
海蔵寺の開山は、源翁禅師(心昭空外)といわれています。 京都の真如堂の鎌倉地蔵は、源翁禅師が割れた石の一つで刻んだものなのだとか。 |
(23) | 鎌倉十橋に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 逆川は名越から流れる川筋が屈曲して北上し,川の流れが逆行しているように見える。そのちょうど逆行する辺りに逆川橋は架かるので,こう呼ばれるようになった。 |
イ | 夷堂橋は,本覚寺門前を流れる滑川に架かる橋で,その名は本覚寺の鎮守社の夷堂が近くにあったことによる。 |
ウ | 英勝寺の開基であるお勝の局が架けたので,勝ノ橋と呼ばれていた。英勝寺の門前にあり,明治の末ごろまでは立派な橋が架かっていたという。 |
エ | 十王堂橋は,北鎌倉駅前から鎌倉街道を大船方面に150 mほど行ったところに架かる。 昔,この橋のそばに閻魔や初江王,毘沙門天など十王を祀ったお堂があったため,このように呼ばれている。 |
オ | 乱橋は,滑川に架かる橋で,下馬四ツ角の南側にある。新田義貞が鎌倉に攻め入った時, 幕府軍の防衛線がくずれはじめたのがこの橋辺りだったことがその名の由来である。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
勝ノ橋は、壽福寺の門前に架けられていた橋。 十王堂橋は、近くに十王を祀る十王堂があったため付けられた名。 円覚寺塔頭桂昌庵の十王像が十王堂に置かれていたものといわれています。 乱橋が架けられている川の名はわかりませんが滑川ではありません。 下馬四ツ角の南側にあるのは佐助川に架けられている琵琶橋。 |
(24) | 次の寺院のうち,もとは源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うために建てたものはどれか。 |
1 |
2 |
3 |
4 |
源頼朝は三浦義明の菩提を弔うために能蔵寺を建立しました。 材木座の来迎寺は能蔵寺を前身としています。 上の写真で来迎寺は4。 1は本覚寺、2は満福寺、3は大長寺。 |
三浦義明墓 |
三浦一族の墓 |
三浦義明は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵時に衣笠城を畠山重忠・河越重頼・江戸重長に攻められ討死しました。 来迎寺の本堂横には義明の五輪塔が、本堂裏には三浦一族の墓があります。 |
横須賀の満昌寺も源頼朝が三浦義明の追善のために建立した寺院。 |
(25) | 次の宝戒寺本堂の配置図について,a~eの組み合わせが正しいものはどれか。 |
1 | a:聖観世音 b:帝釈天 c:子育経読地蔵大菩薩 d:弘法大師 e:不動明王 |
2 | a:聖観世音 b:毘沙門天 c:子育経読地蔵大菩薩 d:弘法大師 e:閻魔大王 |
3 | a:聖観世音 b:帝釈天 c:子育経読地蔵大菩薩 d:伝教大師 e:不動明王 |
4 | a:聖観世音 b:毘沙門天 c:子育経読地蔵大菩薩 d:伝教大師 e:閻魔大王 |
宝戒寺の本堂には、本尊の「木造地蔵菩薩坐像」(国重文)、本尊脇侍の「木造梵天・帝釈天立像」(県文)、鎌倉三十三観音一つ「准胝観世音像」、鎌倉・江の島七福神の一つ「毘沙門天像」、唐仏地蔵と呼ばれる「地蔵菩薩立像」などが安置されています。 本尊の「木造地蔵菩薩坐像」は鎌倉二十四地蔵の一つで、別名「子育経読地蔵尊」。 当然、中央のCに置かれています。 本尊の左側の区画には聖観世音・不動明王・毘沙門天・不動尊御前立・准胝観世音・聖徳太子、 右側の区画には伝教大師・閻魔大王・慈威和上・弘法大師が置かれています。 |
4択式マークシート方式その2 |
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