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円覚寺の童子に贈るための絵画が重要文化財に。 |
円覚寺(えんがくじ)は、鎌倉五山第二位(臨済宗円覚寺派大本山)。 鎮護国家(仏法によって国家を鎮め護ること。)と、元寇(文永・弘安の役)の犠牲者の菩提を敵味方なく弔うため、1282年(弘安5年)、八代執権北条時宗によって建立され、開山には宋の禅僧無学祖元が招かれた。 寺名は、起工の際に地中から「円覚経」を納めた石櫃が出てきたことから、予定していた寺名をとりやめ、円覚寺としたといわれる。 正式名称は「瑞鹿山円覚興聖禅寺」。 鎌倉幕府の祈願所として発展し、幕府滅亡後は、夢窓疎石が住職となり、後醍醐天皇の力もあって繁栄、42の支院を持つ寺となった。 1526年(大永6年)、里見実堯の来襲では大きな打撃をうけ、全山が焦土と化す。 現在の堂宇は江戸時代に再建されたもので、1923年(大正12年)の関東大震災で倒潰したが、総門、山門(三門)、舎利殿などは復元された。 山門(三門)、仏殿、法堂が一直線に並ぶ「禅宗様式」となっている(参考:円覚寺の伽藍配置)。 |
鎌倉観音巡礼第33番札所 (十一面観世音:佛日庵) |
鎌倉地蔵巡礼第13番、第14番札所 (手引地蔵(正続院)、延命地蔵(佛日庵)) |
開山 | 無学祖元(仏光国師) |
開基 | 北条時宗 |
本尊 | 宝冠釈迦如来 |
鎌倉の臨済宗の寺 鎌倉四大寺 童謡・唱歌「鎌倉」に歌われた寺 |
二度にわたる元軍の襲来を退けた北条時宗の生涯を年表形式でみる。 |
国宝「舎利殿」 |
国宝「洪鐘」 |
舎利殿は、源実朝が宋より請来した仏舎利が納められている建物で、鎌倉で唯一の国宝建築物。 正月、ゴールデンウィーク、宝物風入などで特別公開されている。 洪鐘は北条貞時が江の島に参籠したことで鋳造に成功したという鎌倉最大の梵鐘。 |
円覚寺弁財天の祭礼「洪鐘祭」が2023年(令和5年)10月29日に開催されました。 |
瑞鹿山 |
円覚興聖禅寺 |
開山の無学祖元は、中国宋の禅僧。 1279年(弘安2年)、八代執権北条時宗の招きにより来日。 建長寺第五世となり、蒙古襲来の危機に際しては、時宗の相談役としてその政策に影響を与えた。 1282年(弘安5年)、円覚寺の開山。 1286年(弘安9年)9月3日、建長寺で没。 墓所は建長寺の西来庵。 諡は仏光国師。 |
円覚寺開山忌 |
仏光国師坐像 |
臨刃偈〜円覚寺開山・無学祖元(仏光国師)の逸話〜 |
源実朝が宋より請来したという円覚寺の仏舎利は、九代執権・北条貞時が大慈寺から移したもの。 室町時代、その一部は京都に献じられ、鹿王院に安置されたらしい。 |
京都の鹿王院は、足利義満が創建した寺。 舎利殿に安置されている仏舎利は円覚寺にあったものだという。 |
1315年(正和4年)から徳川家康が江戸に入る1590年(天正18年)まで、江戸前島は円覚寺領だった。 家康は江戸前島を横領し、1603年(慶長8年)から始められた江戸城の土木・建築工事の際に江戸城の一部としてしまった・・・ |
江戸前島〜源頼朝と円覚寺と徳川家康 |
1894年(明治27年)末から翌年にかけて円覚寺の塔頭起源院に止宿した作家夏目漱石。 釈宗演に参禅し、その体験は小説『門』に描かれた。 |
禅宗では、高僧の塔があるところを塔頭という。 円覚寺の塔頭は、その繁栄時には42院を数えたが、現在は17の塔頭が残されている。 |
お寺カフェ安寧 |
香下庵茶屋 |
五山の制度は、禅寺の格式を表すもの。 室町幕府三代将軍足利義満の時代に、京都の南禅寺が五山之上に置かれ、鎌倉五山と京都五山が決められた。 円覚寺は鎌倉五山の第二位。 |
一位 |
三位 |
四位 |
五位 |
鎌倉市山ノ内409 0467(22)0478 JR北鎌倉駅下車すぐ |
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