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鹿王院(ろくおういん)は、室町幕府三代将軍の足利義満が創建した宝幢寺(ほうどうじ)の塔頭だった寺院。 1379年(康暦元年)のある夜、義光は夢の中で 「今年中に必ず大病する。 ただし、宝幢如来を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びる」 と告げられたことから、春屋妙葩(普明国師)を迎えて宝幢寺を創建。 翌年、開山堂を建立して鹿王院とした。 しかし、宝幢寺は1468年(応仁2年)の応仁の乱の兵火で焼失して廃絶。 ただ、鹿王院は再建され、宝幢寺の寺籍を継いだのだという。 山号は覚雄山。 本尊は釈迦如来。 臨済宗系単立。 |
鹿王の名は、造営の際に野鹿の群れが現れたこととする説と、釈迦が最初に説法を行ったという鹿野苑に因んだという説がある。 客殿の「鹿王院」の額は足利義満の自筆。 義光の戒名は「鹿苑院天山道義」。 |
山門は、宝幢寺創建当時の建物。 建仁寺の山門に次ぐ古い中世様式の遺構。 「覚雄山」の額も足利義満の自筆。 |
舎利殿には、鎌倉幕府三代将軍の源実朝が宋から請来したと伝えられる仏牙舎利を安置。 |
相国寺 |
鹿苑寺 |
相国寺は、鹿王院が創建された後の1392年(明徳3年)、足利義満の発願で創建された京都五山第二位の寺。 義満は開山に春屋妙葩を迎えようとしたが、妙葩が固辞したため、すでに亡くなっている夢窓疎石が開山となった(勧請開山(名目上の開山))。 妙葩は二世住持として相国寺の造営に努めたが、完成を見ずに1388年(嘉慶2年)に亡くなっている。 金閣寺の名で知られる鹿苑寺は、義光が邸宅として使用した山荘「北山殿」をその始まりとしている。 相国寺の境外塔頭。 |
金箔を貼った舎利殿は「金閣」と呼ばれる。 鹿王院の舎利殿が参考にされているのだとか。 |
東福寺の通天橋は、仏殿・方丈から開山堂(常楽庵)に至る渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)に架けられた橋廊。 春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。 |
京都市右京区嵯峨北堀町24 京福電鉄「鹿王院駅」より徒歩2分 JR山陰本線「嵯峨嵐山駅」より徒歩7分 京都バス・京都市営バス下嵯峨バス停から徒歩5分 |
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