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相国寺は、臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山第二位の格式を誇った。 正式名称は万年山相国承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)。 1382年(永徳2年)、室町幕府三代将軍・足利義満が発願し、将軍家邸宅の「花の御所」の隣接地に創建した。 竣工は1392年(明徳3年)。 相国寺の建立を義満にすすめたのは義堂周信だったという。 開山は夢窓疎石。 本尊は釈迦如来。 完成から2年後の1394年(応永元年)に焼失。 六世住持の絶海中津が義満を励まし、その復旧に努めた。 その結果、1407年(応永14年)に復興している。 1399年(応永6年)に完成した七重大塔は高さ109メートルともいわれ、史上最も高い仏塔だったというが(1403年(応永10年)、落雷によって焼失。)。 その後、1425年(応永32年)に出火により焼失。 四代将軍義持、六代将軍義教、八代将軍義政らによって再建が進められ復興したが、応仁の乱、天文の乱の兵火によって焼失してしまう。 1605年(慶長10年)に豊臣秀頼が法堂を、1609年(慶長14年)には徳川家康が三門を寄進するなどして復興されたが、1788年(天明8年)の大火で法堂、浴室と塔頭9院を残して他の堂塔は焼失した。 1807年(文化4年)、桃園天皇皇后恭礼門院旧殿が下賜されて開山塔が建立され、同年、方丈・庫裡も再建された。 豊臣秀頼が寄進した法堂は現存する我が国最古の法堂で、天井の「蟠龍図」は「鳴き龍」として知られている。 |
足利義満は、開山に春屋妙葩を迎えようとしたが、妙葩が固辞したため、すでに亡くなっている夢窓疎石が開山となった(勧請開山(名目上の開山))。 妙葩は二世住持として相国寺の造営に努めたが、完成を見ずに1388年(嘉慶2年)に亡くなっている。 |
嵯峨の鹿王院は、相国寺創建の前に足利義満が春屋妙葩を迎えて創建した寺院。 山外塔頭の鹿苑寺の舎利殿(金閣)は、鹿王院の舎利殿(駄都殿)を参考にしているのだとか。 |
相国寺は五山の中心的存在として君臨。 周文や雪舟は相国寺出身の僧。 |
山門は、1788年(天明8年)の大火で焼失。 |
仏殿は、1551年(天文20年)の石橋の乱で焼失。 |
開山塔は、1807年(文化4年)再建。 |
方丈は、1807年(文化4年)再建。 |
庫裡は、1807年(文化4年)再建。 |
鐘楼は、1843年(天保14年)の再建。 |
後水尾上皇は1653年(承応2年)に焼失した大塔を再建し、出家落髪時の髪と歯を上層柱心に納めた。 その大塔は1788年(天明8年)の天明の大火で焼失。 後水尾天皇歯髪塚は、その跡地に建てられている。 |
中国開封大相国寺より寄進された。 |
大光明寺 林光院 玉龍院 普広院 慈雲院 慈照院 豊光寺 長得院養源院 光源院 瑞春院 大通院 |
金閣寺 (鹿苑寺) |
銀閣寺 (慈照寺) |
室町幕府三代将軍・足利義満が京都北小路室町に造営した将軍家邸宅跡に建てられた碑。 義満の「花の御所」とも呼ばれた邸宅は、「室町幕府」という呼称の由来となった。 所在:上京区室町通今出川東北角 |
京都市上京区今出川通烏丸東入 地下鉄「今出川」下車徒歩5分 市バス「同志社前」 |
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