|
銀閣寺の正式名称は「慈照寺」。 京都五山第二位の相国寺の境外塔頭。 1482年(文明14年)、室町幕府八代将軍の足利義政は、祖父足利義満の山荘「北山殿」にならい、隠棲生活を過ごすために山荘「東山殿」を造営した。 それが慈照寺の始まり。 義政の死後、禅寺となり義政の法号「慈照院殿」から慈照寺と名付けられた。 開山は夢窓国師。 俗称の「銀閣寺」は、北山の「金閣寺」に対するもので、江戸時代からそう呼ばれるようになったのだという。 観音殿は、鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造られたもの。 |
夢窓国師は、慈照寺が創建されるより100年以上も前の1351年(観応2年/正平6年)に没しているが、勧請開山(名目上の開山)として迎えられている。 |
足利義政の時代の文化は、武家、公家、禅僧らの文化が融合したもので「東山文化」と呼ばれている。 慈照寺の観音殿(銀閣)はその東山文化を代表するもの。 |
観音殿前の錦鏡池(きんきょうち)を中心とする庭園は国の特別史跡であり特別名勝。 |
夢窓国師作庭の西芳寺庭園を模したもので、「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、「向月台」(こうげつだい)が配された室町時代を代表する庭園。 ただし、江戸時代に改修され造営当時の面影は残されていないともいわれる。 |
寛永年間(1624〜44)の建築といわれ、本尊は釈迦牟尼仏。 内部の襖絵は、池大雅と与謝蕪村によるもの。 |
1486年(文明18年)に建立された足利義政の持仏堂で、現存する最古の書院造の建築物(国宝)。 内部には、四畳半の書斎(同仁斎)があり、草庵茶室の源流といわれ、四畳半の間取りの始まりだという。 |
この2つが重複指定されているのは、小石川後楽園、浜離宮恩賜公園、金閣寺、醍醐寺三宝院、平城京左京三条ニ坊宮跡、厳島、毛越寺、一乗谷朝倉氏庭園と銀閣寺庭園の9箇所のみ。 |
京都市左京区銀閣寺町2 市バス「銀閣寺道」 |
祇園には金閣・銀閣に次ぐ銅閣が建てられた! |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|