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1587年(天正15年)6月2日、明智光秀の謀反により、本能寺で最期を遂げた織田信長(本能寺の変)。 嫡子信忠も二条御所で自刃。 その信忠の菩提を弔うために建てられたのが大雲院(だいうんいん)。 信忠の戒名は「大雲院三品羽林仙巖大禅定門景徳院」。 寺名は信忠の戒名からのものらしい。 山号は龍池山。 本尊は阿弥陀如来。 大雲院は、信忠が討たれた二条御所跡(烏丸御池)に創建されたが、間もなく豊臣秀吉の命により四条に移転。 その後、数度の火災で焼失、明治期に復興されたが、1973年(昭和48年)に現在地に移転。 現在地は、鹿鳴館・帝国ホテル・帝国劇場などを設立した実業家・大倉喜八郎の別荘真葛荘だった場所。 |
信忠が自刃した二条殿址(二条御所址)にある碑。 |
本能寺の変が起こった当時の本能寺は、現在地ではなく、四条堀川の辺りにあったのだという。 跡地には本能寺跡の碑が建てられている。 |
境内の塔は、大倉喜八郎が「金閣・銀閣に次ぐ銅閣を」と考えて建てたもので、設計者は建築家・伊東忠太。 祇園祭の山鉾をイメージして建てられた塔は「祇園閣」と名付けられた。 |
祇園閣の鉾先には鶴。 喜八郎の幼名の鶴吉、号の鶴彦に由来するのだという。 戒名は大成院殿礼本超邁鶴翁大居士。 画像は高台寺より。 |
1594年(文禄3年)に捕えられた盗賊・石川五右衛門は、市中を引き回されて大雲院門前に至った際に、住職の貞安に引導を渡されたのだという。 その後、三条河原で一子と共に処刑された。 大雲院には五右衛門の墓があるらしい。 |
通常は非公開だが、数年おきに期間を限って公開されている。 |
京都市東山区祇園町南側594 ‐ 1 市バス「祇園」下車徒歩5分 |
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