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毛越寺(もうつうじ)は、850年(嘉祥3年)、円仁 (慈覚大師) によって開かれたと伝えられる天台宗の寺院。 本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩。 山号は医王山。 奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡によって多くの伽藍が造営され、往時には堂塔40、僧坊500を数えたという。 これらの伽藍は、京都白河の法勝寺を模して築かれたと考えられている。 1189年(文治5年)、源頼朝の奥州征伐によって奥州藤原氏が滅亡した後は、鎌倉幕府の保護を受けていたが、度重なる災禍によって荒廃し、1636年(寛永13年)には、本尊の釈迦三尊が伊達政宗の菩提寺・瑞鳳寺(宮城県仙台市)に遷された。 2011年(平成23年)、「平泉〜仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〜」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。 |
※ | 円仁は第三世天台座主になった高僧で、開山したり再興した寺院は、比叡山延暦寺の横川、浅草寺、江島神社中津宮など500以上になる。 毛越寺が開かれた850年(嘉祥3年)には中尊寺も開いている。 |
現在は、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。 浄土庭園は藤原道長の孫・橘俊綱の『作庭記』を基に造られたとされている。 |
本堂 |
南大門跡 (金堂の門) |
大泉が池 (浄土庭園) |
開山堂 (慈覚大師を祀る堂) |
嘉祥寺跡 (金堂と並ぶ大寺) |
講堂跡 (金堂と一体的だった) |
遣水 (曲水の宴) |
常行堂 |
遣水で5月の第四日曜日に催されている曲水の宴は、3月の「上巳の節句」で行われていた宮中行事。 奈良・平安時代に流行った庭園の曲水に酒を満たした盃を浮かべて歌を詠む遊興で、藤原道長など貴族の自邸でも行われていた。 |
毛越寺境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されている。 この2つが重複指定されているのは、小石川後楽園、浜離宮恩賜公園、金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、平城京左京三条ニ坊宮跡、厳島、一乗谷朝倉氏庭園と毛越寺庭園の9箇所のみ。 |
1689年(元禄2年)、奥州平泉を訪れた松尾芭蕉は、1189年(文治5年)閏4月30日、藤原泰衡に襲撃され、衣川館で妻子とともに自害した源義経を偲び、「夏草や 兵共が 夢の跡」 と詠んだ。 |
「夏草や 兵共が 夢の跡」 を新渡戸稲造が英訳し、毛筆で揮毫したもの。 The summer grass ‘Tis all that's left of ancient warriors dreams. |
『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)9月17日、中原親能と比企朝宗から清衡・基衡・秀衡の三代が建立した堂塔の説明を受けた源頼朝は、平泉の寺院の領地は先例のとおり寄付することとし、たとえ堂塔がなくなってしまっている土地であっても地頭が占領することを禁ずることを命じた。 その旨は、円隆寺の南大門に貼り紙されたのだという。 |
かつて鎌倉に源頼朝が建立した永福寺は、中尊寺・毛越寺・無量光院などを模した寺院だったのだという。 |
『吾妻鏡』が伝える中尊寺 『吾妻鏡』が伝える毛越寺 |
北条時政が創建した伊豆の願成就院の伽藍は、毛越寺を模した構成だったのだという。 |
岩手県平泉町字大沢58 JR平泉駅から徒歩7分程度 |
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