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「雛まつり」は、3月上旬の巳の日に、「邪気祓い」のために行われていた「上巳の節句」がその起源。 「上巳の節句」は、平安時代に遣唐使によって日本にも伝えられたらしい。 紫式部の『源氏物語』では、光源氏が蟄居していた須磨の浜で上巳の禊を行っている。 『吾妻鏡』によると、鶴岡八幡宮の上巳の節句の祭事には源頼朝も出席している。 昔は、紙で作った人形(ひとがた)をひな壇に飾り、祭が終わると「流し雛」といって、紙の人形で体を撫でて穢れを落とした後、海や川に流していた。 これは、3月の初めの「物忌」(ものいみ)の時に、禊ぎをして穢れを祓ったことに始まったもので、身の穢れを身代わりである人形に託して流し去ろうというもの。 6月と12月に行われる「大祓」の神事が「流し雛」の原型といわれている。 『源氏物語』で光源氏が須磨の浜で行った禊でも人形が流されている。 |
清少納言は『枕草子』で「うつくしきもの」の一つに「雛の調度」を挙げている。 「雛」(ひいな)は、紙で折った小さな人形。 この人形を使った「雛遊び」は『源氏物語』にも度々登場しているが、「上巳の節句」との直接的な関係はない。 ただ、「雛」と上巳の節句に用いられた「人形」が結びついたものが雛人形と言われ、江戸時代になると立派な人形を飾るようになったのだという。 |
「上巳の節句」が「桃の節句」と呼ばれるのは、旧暦の3月上旬が「桃の花の咲く頃」なのでそう呼ばれるようになったといわれている。 中国では、桃の花に入った酒を飲むと、長生きできると伝えれ、日本でも桃の花の入った酒を飲むようになったのだとか・・・。 |
あかりをつけましょぼんぼりに お花をあげましょ桃の花 五人ばやしの笛太鼓 今日はたのしいひなまつり 金のびょうぶにうつる灯を かすかにゆする春の風 すこし白酒めされたか あかいお顔の右大臣 |
「上巳の節句」には、庭園の曲水に酒を満たした盃を浮かべ、盃が自分の前を流れ過ぎる前に詩歌を作る遊興も行われていた(曲水の宴)。 中世以降は行われなくなったが、太宰府天満宮・上賀茂神社・赤間神宮・毛越寺・城南宮などで再興されている。 |
下鴨神社は、清少納言や紫式部ゆかりの社。 3月3日には、人形を乗せた「さんだわら」が御手洗川に流され、子どもたちの無事が祈願される。 |
唐崎神社は、琵琶湖の西岸にある祓の霊場。 7月のみたらし祭では、奉納された人形や茅の輪くぐりでお祓いした葦が琵琶湖に流される。 |
「はらへどの 神のかざりの みてぐらに うたてもまがふ 耳はさみかな」 3月1日、賀茂川の河原に出ると・・・ 隣の車の法師が紙の冠をして陰陽博士を気取っているのを憎らしく思って詠んだ歌。 |
紫式部の歌~法師が陰陽博士を気取っているの見て:上巳祓~ |
1927年(昭和2年)、アメリカから約12000体の人形が横浜と神戸に到着。 実業家・渋沢栄一の尽力により実現したもので、3月3日の雛まつりには、明治神宮外苑の日本青年館で、栄一も出席した歓迎式が盛大に行われた。 |
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