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唐崎神社は日吉大社の摂社。 697年(持統天皇11年)創建といわれる社。 古くから祓の霊場として知られ、平安時代には「七瀬の祓」の一所として京の人々や公家の姫君がお祓いを受けにやってきたのだという。 『蜻蛉日記』によると・・・ 藤原兼家の訪れが途絶えて20日以上になった藤原道綱の母は、気晴らしのために唐崎の祓に出かけている。 『御堂関白記』には藤原道長が唐崎へ祓に出かける記事があり、その場所が唐崎神社ではないか考えられている。 『源氏物語』〜少女の巻〜には、五節の舞姫だった光源氏の家来・源良清の娘が祓を行ったことが記されている。 |
紫式部は、五節の舞姫に日陰の鬘の下賜を願い出て、中宮藤原彰子から与えられた右の宰相中将に歌を贈っている。 |
紫式部の歌〜弘徽殿女御に仕える右京に贈った歌〜 |
五節の舞姫〜新嘗祭・大嘗祭で舞った舞姫と貴族〜 |
源氏物語(少女)で描かれた光源氏の五節の舞姫〜 光源氏と筑紫の五節の贈答歌 夕霧が五節の舞姫に贈った歌 |
賀茂斎院は、賀茂祭(葵祭)を主宰した斎王の御所。 斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王のこと。 唐崎神社は、斎王が退下したときに参拝したともいわれている。 |
境内の唐崎の松は、松尾芭蕉の「辛崎の松は花より朧にて」で知られる霊松。 初代の松は千数百年前に植えられたものだったようだが、現在の松は三代目。 樹齢は250年から300年と推定されている。 金沢の兼六園にある唐崎の松は、この地から分けられたもの。 |
琵琶湖西岸の唐崎の地は、近江八景「唐崎の夜雨」で知られる景勝地。 対岸には近江富士と呼ばれる三上山を望むことができる。 |
聖徳太子の念持仏・如意輪観音を本尊とする六角堂(頂法寺)は、藤原実資・九条兼実・平徳子(建礼門院)・後白河法皇などが信仰した観音霊場。 唐崎神社の神が鎮守として祀られている。 |
下鴨神社にも唐崎社が祀られ、賀茂斎王が退下した際には、解齋(お祓い)が行われていたのだという。 |
『義経記』によると、壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かった。 義経は唐崎の松、比叡山、日吉大社、堅田浦を眺めながら琵琶湖の西岸沿いを進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦に到着したのだという。 |
滋賀県大津市唐崎1−7−1 JR湖西線「唐崎駅」から徒歩10分 |
日吉大社は平安京の鬼門の守護神、比叡山延暦寺の守護神として崇敬された社。 |
滋賀県大津市坂本5−1−1 JR湖西線「比叡山坂本駅」から徒歩20分 京阪石山坂本線「坂本駅」から徒歩10分 |
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