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賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社(総称して「賀茂神社」)。 通称は「上賀茂神社」(かみがも)。 神代(かみよ)の頃、神山(こうやま・賀茂山)に祭神が降臨したとされ、678年(天武天皇7年)に現在の社殿の基が造営された。 古くより朝廷の崇敬を受け、平安遷都後は、山城国の一之宮となり、王城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められた。 平安時代の1036年(長元9年)以降、21年毎に式年遷宮を行っていたが、本殿・権殿が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみ。 |
賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ) |
神話によると、玉依媛命(たまよりひめのみこと)が賀茂川(加茂川)の川上から流れてきた丹塗矢を持ち帰ったところ懐妊し、誕生したのが賀茂別雷命だという。 玉依媛命は、その父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とともに賀茂御祖神社(下鴨神社)に祀られている。 |
「埒が明く」「埒が明かない」という言葉は、葵祭に先だって行われる上賀茂神社の競馬会から生まれた・・・ |
細殿と立砂 |
岩上 |
楼門と玉橋 |
高倉殿 |
幣殿 |
中門 (本殿・権殿) |
新宮門 |
片山御子神社 (片岡社) |
片山社は紫式部も参拝した社。 |
御所屋 |
神馬舎 |
楽屋 |
土屋 |
橋殿 |
橋本神社 |
橋本神社には清少納言と交際していたという藤原実方が合祀されている。 |
紫式部歌碑 (ならの小川) |
岩本神社 (ならの小川) |
ならの小川のほとりには紫式部の歌碑が建てられている。 岩本神社には『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人・在原業平が合祀されている。 |
藤原家隆歌碑 (ならの小川) |
「しば漬け」・「千枚漬け」とともに京都の三大漬物に数えられる「すぐき」。 京野菜の「すぐき」を塩漬けしたもので、京都にしかない珍しい漬物。 |
『吾妻鏡』によれば、1184年(元暦元年)4月24日、源頼朝は、賀茂社の所領41ヶ所に対し、後白河法皇の院庁下文のとおり、武家による年貢の横領を止めるよう命令を下す決定をしている。 1186年(文治2年)9月5日には、賀茂別雷社の所領について、地頭の支配を止め、社家に任せるよう命じている。 同時に備後国有福庄での土肥実平の横領や、近江国安曇川御厨での佐々木定綱の支配を止めるよう命じている。 |
賀茂神社 |
葵祭 |
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と賀茂御祖神社(下鴨神社)は、総称して賀茂神社と呼ばれる。 古くより朝廷から崇敬され、794年(延暦13年)の平安遷都後は山城国の一之宮となり、王城鎮護の神として一層崇敬された。 802年(大同2年)には正一位の神階を受け、賀茂祭(葵祭)は、石清水八幡宮の例祭(石清水祭)・春日大社の例祭(春日祭)とともに三大勅祭のひとつ。 葵祭は紫式部の『源氏物語』にも描かれている。 |
葵紋と賀茂神社〜徳川家と三つ葉葵〜 元康から家康に改名・松平から徳川に改姓 |
清少納言は『枕草子』に素晴らしい神として・・・ 松尾大社・石清水八幡宮・大原野神社・春日大社・平野神社・水分神社・上賀茂神社・下鴨神社・伏見稲荷大社を挙げている。 |
京都市北区上賀茂本山339 京都市営地下鉄烏丸線「北山駅」徒歩約25分 市バス(4・46・67系統)「上賀茂神社前」 |
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