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在原業平は平安前期の歌人。 父は平城天皇の第一皇子・阿保親王。 母は桓武天皇の皇女・伊都内親王。 六歌仙の一人で歌物語の『伊勢物語』は業平らしき人物が主人公となっている。 藤原公任の『三十六人撰』に載っている平安時代の和歌の名人・三十六歌仙の一人でもある。 美男子で、兄の行平とともに紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともいわれる。 |
京都市中京区間之町通御池下る東側 |
近江神宮は、『百人一首』の一番歌を詠んだ天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 映画「ちはやふる」の舞台にも選ばれた。 「ちはやふる」のタイトルは業平の歌が元となっている。 |
在原業平の歌~ちはやぶる…百人一首に選ばれた歌~ |
清和天皇の皇后となった藤原高子は、876年(貞観18年)、当時の恋人・在原業平と大原野神社を参詣。 その時、業平は 「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」 と詠んだのだという。 藤原高子は、のちに花山天皇が出家することとなる元慶寺を開基。 |
大原野神社は、春日大社を勧請して創建された社。 藤原氏は女子が中宮や皇后になると行列を整えて参拝することを通例としていた。 藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった藤原彰子の行列は、目がくらむほどきらびやかで美しいものだったと伝えられている。 |
東宮になれなかった敦康親王~伊勢物語と外戚・高階氏~ |
在原業平の歌~世の中にたえて桜のなかりせば~ |
上賀茂神社の末社・岩本神社には業平が合祀されているのだという。 |
徳川家康の先祖とされる松平親氏の岳父・在原信重は在原業平の子孫なのだという。 |
松平郷にある高月院は、在原信重が創建した松平氏の菩提寺。 |
月見の松 (須磨離宮公園) |
松風村雨堂 |
業平の兄・行平は、文徳天皇の時代に須磨に蟄居。 しばしば裏山で月見をしていたため、後世、裏山は月見山と呼ばれ、月見の松碑が建てられている。 松風村雨堂は、在原行平が都に帰った後、愛人だった松風と村雨が行平の無事を祈って建てた庵の跡。 |
多井畑厄除八幡宮 |
松風村雨の墓 |
多井畑厄除八幡宮は、行平や源義経が祈願したという社。 多井畑厄除八幡宮の西には松風と村雨の墓がある。 |
石山寺の「源氏の間」は、本堂の相の間にある部屋。 中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見た紫式部は・・・ この部屋で蟄居を余儀なくされた在原行平の須磨での日々を重ねあわせながら、「須磨」・「明石」の両巻から『源氏物語』を書き始めたのだという。 |
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