|
陸奥国は、紫式部の歌にも詠まれた歌枕の地。 そして、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)と藤原実方(ふじわらのさねかた)ゆかりの地。 源融は嵯峨天皇の第十二皇子で左大臣となった貴族。 864年(貞観6年)、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向したといわれている。 藤原実方は、清少納言と交際していたともいわれる貴族。 995年(長徳元年)、藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で陸奥守に左遷されたのだという。 |
多賀城には陸奥国府や鎮守府が置かれ、源融や藤原実方も赴任。 |
陸奥総社宮 (多賀城市) |
浮嶋神社 (多賀城市) |
陸奥総社宮は、都から下向した歴代の陸奥国司が参拝した社。 浮嶋神社には源融を祀る大臣宮神社が合祀されている。 |
鹽竈神社は、多賀城の鬼門の位置に鎮座する陸奥国一宮。 |
融ヶ岡 (塩竃市) |
御釜神社 (塩竃市) |
鹽竈神社は、多賀城の鬼門の位置に鎮座する陸奥国一宮。 源融は鹽竈神社の南の融ヶ岡に別荘を構えていたのだという。 藤原実方は鹽竈神社で出会った白髪の老人に阿古耶の松の所在を教えられたのだとか。 御釜神社は、鹽竈神社の神器を安置する末社。 |
源融の歌~河原左大臣が詠んだ陸奥国信夫の歌~ |
藤原実方の墓 (名取市) |
佐倍乃神社 (名取市) |
998年(長徳4年)12月13日、藤原実方は佐具叡神社の前で落馬して死去。 藤原実方の墓は、佐具叡神社があった地に建てられている。 佐倍乃神社は、佐具叡神社を合祀する社。 |
入内雀・実方雀~雀となって都に現れた藤原実方~ |
見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦 |
1001年(長保3年)4月25日、紫式部は夫の藤原宣孝を亡くしている。 この歌は、陸奥国の名所絵を見て詠んだ歌。 |
紫式部の歌~見し人の:夫・藤原宣孝の死を悼む歌~ |
河原院址 (京都) |
渉成園 (京都) |
河原院は源融の邸宅。 塩竈の景色を忘れることができない融は、塩竈の風景を模した庭園を造営し、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだのだという。 渉成園は、河原院の一部に造営された庭園。 |
源融の供養塔 (渉成園) |
塩釜と手水鉢 (渉成園) |
渉成園には、源融の供養塔や塩釜と塩釜の手水鉢がある。 |
紫式部の『源氏物語』~夕顔の巻~で光源氏の愛人・夕顔が物の怪に襲われた某院は、河原院がモデルといわれる。 |
紀貫之の歌~河原左大臣源融が亡くなって…塩釜の浦~ |
錦天満宮 |
塩竃神社 |
新京極の錦天満宮は河原院跡に創建された社で、境内の塩竃神社は源融を祀る。 |
鎌倉幕府三代将軍の源実朝が詠んだ 「しほがまの 浦の松風 かすむなり やそしまかけて 春や立つらん」 は、鹽竈百人一首に選ばれている。 |
鎌倉の坂ノ下海岸にある歌碑には、「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」が刻まれている。 この歌は『古今和歌集』にある「陸奥は いづくはあれど 塩釜の 浦こぐ舟の 綱手かなしも」を本歌取りしたもの。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|