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錦天満宮の境内社・塩竈神社は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされる源融を祀る社。 錦天満宮は、1003年(長保5年)、源融の河原院跡にあった歓喜寺の鎮守として創建され、塩竈神社は1299年(正安元年)に歓喜寺が歓喜光寺に改められたときに創建されたのだという。 1587年(天正15年)、歓喜光寺と錦天満宮は現在地に移転するが、かつての境内には千鳥ケ池があって、その中之島に塩竃神社が鎮座していたらしい。 千鳥ケ池は、源融の河原院から移したものだったのだとか。 |
河原院址 (京都) |
渉成園 (京都) |
河原院は、源融が営んだ大邸宅。 源融は、陸奥国の塩竈で見た景色を忘れることができず、塩竈の風景を模した庭園を造営し、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだのだという。 渉成園は、河原院の一部に造営された庭園。 |
鹽竈神社 (塩竃市) |
融ヶ岡 (塩竃市) |
源融は、864年(貞観6年)、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向したのだという(下向していないという説もある。)。 鹽竈神社は、陸奥国府があった多賀城の鬼門の位置に鎮座する陸奥国一宮。 源融は鹽竈神社の南の融ヶ岡に別荘を構えていたのだという。 |
御釜神社は、鹽竈神社の神器を安置する末社。 毎年7月4日から6日にかけて、古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事」が行われる。 |
「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」 この歌は、源融が陸奥国で相思相愛の関係にあった虎女に贈った歌。 |
源融の歌〜河原左大臣が詠んだ陸奥国信夫の歌〜 |
「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」 この歌は、夫・藤原宣孝の死後、この世のはかなさを嘆いていた紫式部が陸奥国の名所絵を見て詠んだというもの。 |
紫式部の歌〜見し人の:夫・藤原宣孝の死を悼む歌〜 |
「君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見え渡るかな」 『古今和歌集』の撰者の一人・紀貫之が、煙の絶えた塩釜の浦を見て詠んだ歌。 |
紀貫之の歌〜河原左大臣源融が亡くなって…塩釜の浦〜 |
京都市中京区新京極通四条上ル中之町537 |
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