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『古今和歌集』(こきんわかしゅう)は、醍醐天皇の勅命により編纂された最初の勅撰和歌集。 撰者は紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑。 平安貴族にとって『古今和歌集』を暗記することは、教養の一つされていた。 |
清少納言の『枕草子』によると・・・ 村上天皇の女御・藤原芳子(宣耀殿女御)は、『古今和歌集』二十巻の全てを暗記していたのだという。 それを聞いた村上天皇は、御物忌の日に『古今和歌集』を持って芳子の部屋へ行き、本当に全てを暗記しているか試したが、芳子は間違えることなく答えたのだとか。 『枕草子』には、中宮藤原定子が女房たちに『古今和歌集』をテストしている様子も書かれている。 そして、定子に「桜が挿してある花瓶から思い出す歌を答えよ」と言われ、清少納言が選んだのは『古今和歌集』の歌だった。 |
桜は中宮・藤原定子!清少納言が描いた桜は、散らない桜! |
紫式部の『源氏物語』には、『古今和歌集』の和歌が多く引用されている。 明石の巻では、光源氏が明石の君に恋文を送っているが、「『思ふには』とばかりありけむ」と描かれている。 『思ふには』は、 「思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 色には出でじと 思ひしものを」 という『古今和歌集』の和歌の引用。 |
思ふには…我慢できない恋心~古今和歌集の歌と光源氏の恋文~ |
『古今和歌集』には、光源氏のモデルの一人とされる源融の歌も選ばれている。 |
源融の歌~河原左大臣が詠んだ陸奥国信夫の歌~ |
「君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見え渡るかな」 『古今和歌集』の撰者の一人・紀貫之が、煙の絶えた塩釜の浦を見て詠んだ歌。 |
紀貫之の歌~河原左大臣源融が亡くなって…塩釜の浦~ |
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