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佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、110年(景行天皇40年)、日本武尊が猿田彦神と天鈿女命を勧請して創建されたという古社。 古くから道祖神社と呼ばれていたが、明治に入って佐倍乃神社に改められた。 1908年(明治41年)には、佐具叡神社など10社が合祀されている。 |
合祀されている佐具叡神社(さぐえじんじゃ)は、陸奥国延喜式式内社の一つ。 995年(長徳元年)、藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で一条天皇によって陸奥国へ左遷されたという藤原実方は・・・ 佐具叡神社の前を乗馬して通ろうとしたとき、里人から 「この神は霊験あらたかで、賞罰をはっきり示す神です。 どうか神罰が下らぬよう下馬してお通りください」 と告げられた。 実方が「どのような神か」と訊ねると・・・ 都の一条の北に鎮座する出雲路道祖神の娘で、商人の家に嫁いだために勘当され、陸奥国に追いやられてきたのだという。 男女・貴賤を問わず、男根を奉って祈願すれば叶わないものはないとされていたらしい。 しかし、実方は「下品な女神」として下馬せずに通り過ぎてしまう。 そのため、神罰が下って落馬して亡くなったのだと伝えられている。 |
陸奥守に左遷の藤原実方と蔵人頭に昇進の藤原行成の逸話 |
佐倍乃神社の境内にある佐具叡神社。 |
都の一条の北に鎮座する出雲路道祖神は幸神社のことらしい。 |
伝承によると・・・ 陸奥国に左遷された藤原実方は、許されても都へは帰らず、阿古耶の松の所在を尋ね歩いていたのだとか。 そして、鹽竈神社で出会った白髪の老人に所在を教えられて、さっそく駆け付けようとしたが、佐具叡神社の前で落馬してしまったのだという。 |
藤原実方の墓は、佐具叡神社があった地に建てられている。 都に未練を残したまま亡くなった実方は、死後、雀となって都に戻ったという伝承がある。 |
雀塚は藤原実方の供養塔。 勧学院の観智上人の夢の中に雀が現れて、実方だと名乗り、自分の為に読経をしてほしいと頼んだのだという。 翌朝、その雀が死骸が見つかり、観智上人は雀塚を建てて実方を供養したのだとか。 勧学院に建てられた実方の雀塚は、勧学院を前身とする更雀寺に移されている。 |
入内雀・実方雀~雀となって都に現れた藤原実方~ |
宮城県名取市愛島笠島字西台1-4 |
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