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更雀寺(きょうじゃくじ)は、平安遷都前の793年(延暦12年)に桓武天皇の勅願により賢憬が開創した法相宗の寺を始まりとする。 寺は、のちに藤原冬嗣に与えられて勧学院となり、藤原氏出身の大学寮学生のための寄宿舎として使用された。 勧学院は鎌倉時代に消滅するが、更雀寺として再興され、四条大宮に移転した後、1977年(昭和52年)に現在地に移転。 現在は浄土宗禅林寺派の寺院。 |
雀塚は、陸奥国に左遷となり、都に帰れぬまま没した藤原実方の供養塔。 勧学院の観智上人の夢の中に雀が現れて、実方だと名乗り、自分の為に読経をしてほしいと頼んだのだという。 翌朝、その雀が死骸が見つかり、観智上人は雀塚を建てて実方を供養したのだとか。 |
陸奥守に左遷の藤原実方と蔵人頭に昇進の藤原行成の逸話 入内雀・実方雀〜雀となって都に現れた藤原実方〜 |
勧学院址 |
大学寮址 |
1008年(寛弘5年)9月11日、藤原道長の土御門邸では、一条天皇の中宮・藤原彰子が第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。 7日目の夜に行われた「御産養」では、勧学院の学生たちが行列を作って参上している。 大学寮は平安宮の南に置かれていた最高教育機関。 紫式部の『源氏物語』では、光源氏の子・夕霧が入っている。 |
995年(長徳元年)、藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で一条天皇によって陸奥国へ左遷されたという藤原実方。 998年(長徳4年)12月13日、実方は佐具叡神社の前を下馬せずに通ったため落馬して死去。 藤原実方の墓は、佐具叡神社があった地に建てられている。 参考までに、佐具叡神社の神は都の一条の北に鎮座する出雲路道祖神の娘。 出雲路道祖神とは幸神社のことらしい。 |
京都市左京区静市市原町738-1 叡山電車鞍馬線「京都精華大前」駅下車 徒歩3分 |
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