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大学寮(だいがくりょう)は、式部省の管轄下にあった最高教育機関。 平安宮の南に置かれていた。 701年(大宝元年)の大宝律令の制定とともに正式に設置された大学寮は、平安前期に全盛期となる。 中下級貴族であっても菅原道真のように文人官僚として出世する道も開けていたが・・・ 藤原氏による摂関体制の確立と、教官の世襲や試験制度の形骸化などから衰退。 1177年(安元3年)の安元の大火で焼失した。 |
紫式部の『源氏物語』~少女の巻~では・・・ 光源氏の子・夕霧が大学寮に入っている。 夕霧は葵の上の忘れ形見。 元服した夕霧にわざと六位という低い官位を与え、祖母の大宮の邸から二条東院に移して学問に励ませた。 夕霧の袍の色は浅葱色だったらしい。 |
平安宮 (大内裏) |
内裏跡 |
平安宮は、平安京の宮城。 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 平安時代の内裏(御所)は、京都御所の西方にあった。 |
大極殿跡 (朝堂院正殿) |
豊楽殿跡 (豊楽院正殿) |
平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 大極殿は、朝堂院の正殿。 豊楽殿は、豊楽院の正殿。 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 |
勧学院は、藤原氏出身の大学寮学生のための寄宿舎。 1008年(寛弘5年)9月11日、藤原道長の土御門邸では、一条天皇の中宮・藤原彰子が第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。 7日目の夜に行われた「御産養」では、勧学院の学生たちが行列を作って参上している。 |
大学寮址碑は、二条城西南隅櫓の向かいにある。 |
京都市中京区西ノ京北聖町 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
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