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律令制のもとでは、一位から九位までの位階があった。 各位は上下に分割され、貴族と呼ばれるのは五位以上の者。 貴族のうち三位以上の者は貴人を意味する「貴」、四位・五位の者は貴人に通じる階層という意味で「通貴」と呼ばれた。 そして、「位袍」(いほう)という制度により、正装の袍(上着)は位階によって色分けされていた。 また、天皇・皇族などの袍(上着)の色は「禁色」(きんじき)と呼ばれ、臣下の者が用いることは禁じられていた。 紫式部の時代、臣下で一番高位の人は濃い紫。 位階が下がるにしたがって薄紫や赤の袍となり、六位以下になると青や緑だったらしい。 藤原道長や光源氏は、もちろん濃い紫。 『源氏物語』~少女の巻~では、光源氏の息子・夕霧が元服して大学寮に入ることとなった際、光源氏はわざと低い官位(六位)を与えて学問に励ませている。 大学寮入った当時の夕霧の袍の色は浅葱色だった。 |
公卿と受領~上級貴族と中・下級貴族~ |
風俗博物館~道長の栄華・彰子に仕えた紫式部・源氏物語~ |
御五十日の祝いの宵、若宮に餅を供する道長 |
1008年(寛弘5年)9月11日、紫式部が仕えていた中宮・藤原彰子が一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。 『紫式部日記』によると・・・ 11月1日、土御門殿では藤原道長主催の「五十日の祝い」が行われた。 そのとき少輔の乳母(藤原豊子の娘)は「禁色」の着用を許されている。 |
参考までに・・・ 神護寺の源頼朝像の袍は黒。 源頼朝の最終位階は正二位。 紫式部の時代だと紫になるのかもしれないが、摂関の時代が終わると、上位の者の色は黒に統一されていったらしい。 |
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