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東京国立博物館に収蔵されている源頼朝像は、鶴岡八幡宮の白旗神社に安置されていたものと伝えられています。 1590年(天正18年)の小田原征伐後、「鶴岡八幡宮を詣でた豊臣秀吉は頼朝像を撫でながら天下を語った」という逸話が残されていますが、秀吉の相手をしたのがこの像なのでしょうか・・・。 |
甲斐善光寺は武田信玄が上杉謙信との戦いの際に、信濃善光寺の本尊・善光寺如来をはじめとする寺宝を山梨郡板垣郷に移したことに始まります。 頼朝像もそのときに持ち込まれたものなのでしょう。 信濃善光寺は、1179年(治承3年)に焼失後、頼朝がその再建を援助しました。 したがって、善光寺に頼朝像があっても不思議なことではありません。 ただ、東京国立博物館の像と比べると、ちょっと雰囲気が違うようです。 頼朝は、いったいどのような顔をしていたのでしょうか。 |
神護寺の源頼朝像を観るとさらにわからなくなりますが・・・。 |
『源平盛衰記』は頼朝の容姿について・・・ 「顔が大きく、背が低い」 「顔立ちは、美しく、姿は、おくゆかしく雅である」 と紹介しています。 なるほど・・・ 「顔がでかくて美しく背が低くて雅」ということのようです。 昔は、このような体型が「美」だったのでしょう。 背の高い大きな男などは、 「あらあらしく洗練されていない」 ということ。 ということで・・・ 頼朝は、かなりの美男子だったという結論です。 なんといっても、 清和天皇の血を引く源氏の嫡流ですから。 |
2022年(令和4年)、静岡県の智満寺に聳えていた頼朝杉を使った源頼朝像が完成。 |
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