三嶋大社は、伊豆山神社・箱根神社とともに蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が深く信仰した神社。 頼朝は、源氏再興を祈願するため三嶋大社に百日間の日参をしたのだといいます。 その日々の中には多くの伝説が生れました。 |
成願寺は、三嶋社に参詣する頼朝が立ち寄った草餅を売る茶店の嫗(おうな)のために建立したという寺。 |
荒木神社は、頼朝が参拝の度に社木に鞍を掛けたという言い伝えから「鞍掛明神」とも称されていたという。 |
三嶋大社に日参していた頼朝は、度々右内神社に立ち寄っていたのだとか・・・ |
昼は人目をはばかるので、夜になってから安達盛長一人を連れて三嶋社参詣を続けていたという頼朝。 ある時、たいそうな疲労に襲われて、稲荷社の松の根もとで仮眠をとります。 以来、その松は「頼朝まどろみの松」と呼ばれ、稲荷社は「間眠神社」(まどろみじんじゃ)と呼ばれるようになったのだとか。 |
三嶋社に参詣する頼朝の後をつけてくる怪しい女。 頼朝が腕を切り落とすと地蔵尊だった・・・ 以来、地蔵尊は「手無地蔵」と呼ばれるようになったのだとか。 |
法華寺には、頼朝が写経した般若心経が奉納されたのだと伝えられている。 |
妻塚観音堂は、大庭景親の妻が祀られている堂。 頼朝を暗殺しようとした景親は、誤って妻を殺してしまったのだとか。 |
百日間の日参をした際にこの井戸の水を飲んだのだとか・・・ |
願成寺は、三嶋社に日参する頼朝が宿舎とした庵が始まりなのだとか。 |
宝鏡院の境内に置かれている「笠置の石」は、三嶋社を参詣する頼朝が笠を置いた石なのだとか。 |
三嶋社に日参した頼朝は、宗徳院の地蔵尊も祈願仏として詣でていたのだといいます。 |
三嶋大社の例大祭に、頼朝の代わりに参拝する者が七名がいたらしい・・・ |
頼朝は、崇敬した伊豆山神社・箱根神社・三嶋大社を参詣する二所詣を鎌倉幕府の公式行事としました。 |
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