鎌倉手帳(寺社散策)

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 三 嶋 大 社
静岡県三島市

編集:yoritomo-japan.com








三嶋大社


 東海随一の神格だったと考えられている三嶋大社(みしまたいしゃ)。

 創建年は不詳。

 祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)。


 1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れて伊豆国へ流された源頼朝が崇敬した社。

 1180年(治承4年)・・・

 頼朝は「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、8月17日に挙兵

 伊豆国の目代山木兼隆を討ち取った。

 その後の石橋山の戦いでは敗れてしまうが、真鶴から船出して安房国(源頼朝上陸地)へ渡って軍を整え、鎌倉に入り、見事、武家の都市を創り上げている。


 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」源頼家自筆の般若心経が残されている。



 大山祇命は、山森農産の守護神、また事代主神は「恵比寿」とも称され福徳の神として現代でも厚い崇敬を受けている。

 源氏再興の挙兵を果たし、富士川の戦いで平家軍を敗走させた頼朝は、三嶋大社に参拝し、伊豆国の御園、河原谷、長崎を寄進している。



富士山本宮浅間大社
リンクボタン富士山本宮浅間大社
(富士宮市)

 富士山本宮浅間大社の祭神は「コノハナノサクヤヒメ」。

 『北条九代記』には三嶋大社の祭神・大山祗神の娘と紹介され、1223年(貞応2年)、北条義時は遷宮の儀を執り行っている。


リンクボタンコノハナノサクヤヒメの神話

リンクボタン北条義時の遷宮の儀





三嶋大祭り


 三嶋大祭りは、三嶋大社の祭礼にあわせて開催される三島市最大のイベント。

 期間は8月15日・16日・17日。

 中日は三嶋大社例大祭、そして、頼朝公旗挙げ行列。

 最終日には武田流流鏑馬も。










三嶋大社たたり石
リンクボタンたたり石
安達盛長警護の跡
リンクボタン安達盛長警護の跡

 旧東海道にあった石と、安達盛長源頼朝を警固した場所。


厳島神社
リンクボタン厳島神社
三嶋大社神池
リンクボタン神池

北条政子が勧請したと伝えられている社と、源頼朝が放生会を行ったという池。


三嶋大社総門
総門
矢田部盛治の像
矢田部盛治の像

 矢田部盛治は、東海大震災で倒壊した社殿を復興した人物。


三嶋大社腰掛石
リンクボタン腰掛石
三嶋大社神馬舎
リンクボタン神馬舎

 源頼朝北条政子が休息したという石と、毎朝、神を乗せて箱根山に上ったという神馬。



三嶋大社神門
神門

1867年(慶應3年)の竣工。この先から清浄地。





三嶋大社のキンモクセイ
リンクボタン金木犀
三嶋大社舞殿
舞殿

金木犀は、樹齢1200年ともいわれる国の天然記念物。


三嶋大社本殿
リンクボタン本殿
三嶋大社祓所神社
祓所神社

 総欅造の本殿は、国の重要文化財。







伊豆魂神社
伊豆魂神社
三嶋大社芸能殿
芸能殿

伊豆一円の戦没者の霊が祀られている社と、慶応4年に建てられた旧総門。


三嶋大社神鹿苑
神鹿苑
源頼朝旗挙の碑
リンクボタン源頼朝
旗挙げの碑



源頼朝挙兵

山木館襲撃〜源頼朝の挙兵〜



若山牧水歌碑
若山牧水歌碑
三島神社の扁額
扁額

のずえなる三嶋のまちのあげ花火月夜のそらに消えて散るなり・・・牧水

扁額は有栖川宮熾仁親王書。


松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉句碑

どむみりと楝や雨の花曇  芭蕉









〜源頼朝の子千鶴丸を祀る三島神社〜

伊東市三島神社
リンクボタン三島神社
(伊東市)

 三嶋大社の創建は不明だが、通説では賀茂郡三島郷、賀茂郡大社郷白浜、そして田方郡小河郷の伊豆国府(現社地)へ遷座されたのだという。

 伊東市富戸の三島神社は、賀茂郡白浜から遷座する際に祀られたと伝えられる神社。

 相殿には、源頼朝伊東祐親の三女・八重姫との間に生まれた千鶴丸が祀られている。



〜賀茂郡から勧請されたのかも〜

伊豆神社
リンクボタン伊豆神社
(大津市)

 琵琶湖の西岸・堅田の浮御堂近くに鎮座する伊豆神社は、三嶋大明神を勧請した社。

 社名は、鎮座する堅田の地が三嶋の地に似ていたため伊豆となったのだとか。

 堅田は、平安時代に京都の下鴨神社の御厨となったことから、琵琶湖の魚を下鴨神社に献上していたのだという。

 葵祭の前日には献饌供御人行列が再現される。





〜左内神社と右内神社〜
(三嶋大社の随神門として鎮座する社)

左内神社
リンクボタン左内神社
右内神社
リンクボタン右内神社

 左内神社右内神社は、三嶋大社の参道(旧下田街道)の左右に建てられた御門の守護神。





〜三嶋社を勧請した源頼朝〜

 三嶋社に祈願して源氏再興の挙兵を果たし、鎌倉に武家の都を創生させた源頼朝は、その中心となる鶴岡八幡宮に三嶋社を勧請している。

 葉山の森戸大明神は、三嶋社を勧請して頼朝が創建した社と伝えられ、藤沢宿で最古の寺といわれる感応院は、頼朝が三嶋社を勧請したことに始まるのだと伝えられている。





〜伊豆・箱根の二所詣〜

 『吾妻鏡』によれば、源頼朝は、走湯山(伊豆山神社)と箱根山(箱根神社)の二所権現と三嶋社を参詣する「二所詣」を1188年(文治4年)に行っている。

 これが「二所詣」の最初の記録で、以後、鎌倉時代を通して行われた。


箱根神社
リンクボタン二所詣





〜源頼朝の伝説〜

 源氏再興を祈願するため三嶋大社に百日間通った源頼朝は、その途上で数々の伝説を残した。


リンクボタン餅売り嫗と源頼朝・・・成願寺

リンクボタン源頼朝の鞍掛明神・・・荒木神社

リンクボタン頼朝公手洗水・・・右内神社(三島市)

リンクボタン源頼朝仮眠の伝説・・・間眠神社(三島市)

リンクボタン頼朝が写経を納めた法華寺

リンクボタン大庭景親の頼朝暗殺計画

リンクボタン頼朝が腕を斬り落とした地蔵尊

リンクボタン頼朝の井戸

リンクボタン頼朝の宿舎・・・願成寺

リンクボタン頼朝の笠置の石・・・宝鏡院

リンクボタン頼朝の祈願仏・・・宗徳院


 源氏再興を果たして鎌倉を本拠とした源頼朝は、年に四度の祭礼に詣でることを誓ったのだが・・・


リンクボタン七人の頼朝の伝説





〜神に召された仁田忠常の妻〜

 仁田忠常の妻は、夫の病気を治癒させるため「私の命を縮め、忠常を救い給え・・・」と三嶋大社に祈願したのだとか。


 リンクボタン貞女の鑑〜仁田忠常の妻〜





〜北条時宗の誕生伝説〜

 五代執権北条時頼室の安産を三嶋大社に祈願していた鶴岡八幡宮の隆弁は、夢に現れた白髪の老翁に

 「祈念するところの懐婦は、5月15日酉の剋に男子を平産する」

  と告げられたのだという。

 予告のとおり誕生したのは、のちの八代執権北条時宗


リンクボタン北条時宗の誕生と鶴岡八幡宮の隆弁





〜北条政子と源頼家が残した宝物〜

三嶋大社梅蒔絵手箱
リンクボタン梅蒔絵手箱
(国宝)
般若心経(源頼家筆)
リンクボタン般若心経
(重文)


〜北条氏が奉納した太刀〜

北条太刀
リンクボタン北条太刀








源頼朝挙兵

歴史めぐり源頼朝




三嶋大社
三嶋大社

静岡県三島市大宮町2−1−5

JR「三島駅」から徒歩7分
伊豆箱根鉄道駿豆線「三島田町駅」から徒歩7分



三嶋大社と御門の守護神と
源頼朝伝説

大きい地図を見るには・・・
右上のフルスクリーンをクリック。








源頼朝配流の地・北条氏発祥の地
(伊豆の国市)

北条の里〜頼朝・時政・政子をめぐる〜
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