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『吾妻鏡』によると・・・ 1250年(建長2年)8月27日、北条時頼室(葛西殿)の懐妊が明らかとなり、祈祷が行われた。 12月13日には、鶴岡八幡宮別当の隆弁が加持を勤めて着帯の儀が執り行われている。 翌1251年(建長3年)5月1日、出産間近となった葛西殿は、産所とした松下禅尼の「甘縄の第」に移り、5月14日になると隆弁が「出産は明日酉の剋」と予告。 次の日・・・ 時頼は、今日出産というのに葛西殿にその気配がないので隆弁に使いを出すが、隆弁は「必ず、今日の酉の剋に出産なので心配ご無用」と返答。 そして、隆弁の予告どおりに時宗が誕生した。 |
時宗が誕生したとき、隆弁は三嶋大社に祈願している間に受けた夢告について披露。 2月12日寅の剋、隆弁の夢に白髪の老翁が現れて、「祈念するところの懐婦は、5月15日酉の剋に男子を平産する」 と告げたのだという。 |
伊豆の三嶋大社は、源頼朝が源氏再興を祈願した社。 |
隆弁は園城寺の僧。 1247年(宝治元年)6月27日、鶴岡八幡宮別当に補され、1264年(文永元年)には、鎌倉在住のまま園城寺別当に補された。 |
鶴岡八幡宮 |
園城寺 |
園城寺は、源頼朝が保護した天台寺門宗の総本山。 頼朝は、鶴岡八幡宮の初代別当に園城寺の円暁を任命している。 |
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