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浮御堂(うきみどう)は、琵琶湖の西岸の堅田の地にある満月寺の堂。 長徳年間(995−999年)、源信(恵心僧都)が衆生済度と琵琶湖の湖上安全を祈願して創建したのだという 伝説によると、 比叡山の横川から琵琶湖をながめていた源信。 毎夜、琵琶湖が光っているのを怪しみ、そこを網ですくわせると1寸8分の黄金の阿弥陀仏像が現れたのだという。 源信は、供養のために阿弥陀仏を造立し、黄金の阿弥陀仏をその体内に納め、さらに1000体の阿弥陀仏を奉安して浮見堂を建立したのだとか。 そのため、「千仏閣」、「千体仏堂」とも呼ばれる。 現在の浮御堂は、1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊した後、1937年(昭和12年)に再建されたもの。 湖上に雁の群れが舞い降りる情景「堅田の落雁」で知られ、近江八景の一つ。 満月寺本尊の木造聖観音坐像は国の重要文化財。 浮御堂は登録有形文化財。 臨済宗大徳寺派。 |
源信は、藤原兼家が建立した比叡山の横川にある恵心堂(恵心院)で修行したことから恵心僧都と呼ばれる。 紫式部の『源氏物語』の最後の十帖「宇治十帖」(手習の巻)に登場する横川の僧都のモデルともいわれる。 |
宇治の恵心院は、恵心僧都源信が再興した寺。 |
竜宮造の山門は登録有形文化財。 |
本尊の聖観音像(非公開)・十一面観音像・薬師如来像が安置されている。 観音堂は登録有形文化財。 |
1691年(元禄4年)、義仲寺境内の無名庵で暮らしていた松尾芭蕉は、弟子たちとともに舟を出して浮御堂で十六夜の月を愛でたのだという。 「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」 |
義仲寺は、粟津で最期を遂げた木曽義仲が葬られた地にある寺。 |
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1689年(元禄2年)、「おくのほそ道」の旅を終えた松尾芭蕉は、年末には義仲寺の無名庵で過ごした。 幻住庵に滞在して石山寺にも度々訪れたのだという。 浮御堂で月見をした3年後の1694年(元禄7年)10月12日、大坂御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で亡くなり、義仲寺に葬られている。 |
浮御堂の近くには京都の賀茂神社とある関係の深い寺社が建ち並んでいる。 中世の堅田は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の御厨となり、湖族(堅田衆)と呼ばれた堅田の人々には、湖上の自由通行権が与えられていた。 鎌倉時代末期には本福寺が創建され、寛正の法難で堅田に逃れてきた蓮如が堅田衆からの支持を得て、「堅田門徒」と称せられるほどの勢力を得たのだという。 |
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伊豆神社と神田神社は、賀茂御祖神社(下鴨神社)が勧請された社。 上賀茂神社と下鴨神社の祭礼「葵祭」の前日(5月14日)には、両社で下鴨神社へ鮒を献上する「献饌供御人行列」が行われる。 |
滋賀県大津市本堅田1−16−18 JR堅田駅からバス「堅田出町」下車 徒歩5分 |
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