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1689年(元禄2年)、「おくのほそ道」の旅を終えた松尾芭蕉は、年末には義仲寺の無名庵で過ごしたのだという。 翌年正月、一時生まれ故郷の伊賀上野に赴くが、3月頃から再び近江国を訪れて無名庵に滞在。 4月には菅沼曲水の奨めで幻住庵に滞在して石山寺にも度々訪れたのだという。 1691年(元禄4年)の6月から9月にかけても無名庵に滞在し、芭蕉を訪ねた伊勢の俳人・島崎又玄は「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と詠んだのだという。 |
1690年(元禄3年)秋、堅田の本福寺を訪れて風邪をひいた芭蕉は、 「病雁の 夜寒に落ちて 旅寝かな」 と詠んだ。 |
「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」 1691年(元禄4年)9月9日の重陽の節句に門人の川井乙州(おとくに)が酒一樽を届けてくれたときの句。 「草の戸」は無名庵のことで、「菊の酒」は重陽の節句に飲む風習があった菊の花を浸した酒。 |
1691年(元禄4年)、無名庵で仲秋の名月を楽しんだ芭蕉は、翌日、弟子たちとともに舟を出して浮御堂で十六夜の月を楽しんだのだという。 |
1694年(元禄7年)10月12日、大坂御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で亡くなった芭蕉。 遺骸は、遺言により義仲寺の木曽義仲の墓の隣に葬られた。 芭蕉は、義仲に対して特別な思いがあったのだという。 翁堂には芭蕉像が安置されている。 |
滋賀県大津市馬場1-5-12 JR 「膳所駅」 から徒歩10分 京阪「京阪膳所駅」 から徒歩10分 |
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