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本福寺(ほんぷくじ)は、琵琶湖の西岸・堅田にある寺院。 正和年間(1312 - 1317)、野洲の御上神社の神職だった善道が本願寺覚如の弟子となって開創したのが始まり。 浄土真宗本願寺派。 山号は夕陽山。 本尊は阿弥陀如来。 |
第三世の法住の時代、本願寺第八世の蓮如は近江国の湖西・湖南まで布教を拡大するが・・・ 1465年(寛正6年)、比叡山はその教えが邪法であるとして本願寺を襲撃(寛正の法難)。 蓮如は堅田に逃れて法住に匿われるが、堅田衆(商工業者や農民)からの支持を得て、「堅田門徒」と称せられるほどの勢力を得たのだという。 そのため延暦寺を刺激することとなる。 そして、1468年(応仁2年)に起きたのが・・・ 足利将軍家の邸宅・花の御所を再建するための木材を運搬していた船団が上乗(通行税)を払わないとして堅田衆が積荷を差し押さえた事件。 激怒した室町幕府八代将軍・足利義政は延暦寺に堅田の処分を要求し、延暦寺は堅田を焼き討ちした(堅田大責)。 堅田は焼け野原となり、堅田門徒は沖島に逃げ延びたのだという。 |
沖島は湖上を行き交う舟人が航行を安全を祈願した神の島。 宗像三女神を祀る奥津嶋神社が鎮座。 |
かつて堅田の人々は湖族(堅田衆)と呼ばれ、堅田が下鴨神社の御厨であったこともあって、湖上の自由通行権が与えられ、琵琶湖最大の自由都市を築いていたのだという。 |
葵祭の前日(5月14日)には、堅田から下鴨神社へ鮒が献上される「堅田供御人鮒奉献奉告祭」が行われている。 |
伊豆神社 |
神田神社 |
上賀茂神社と下鴨神社の祭礼「葵祭」の前日(5月14日)、伊豆神社と神田神社では、下鴨神社へ鮒を献上する「献饌供御人行列」が行われる。 |
堅田を度々訪れていたという松尾芭蕉は、1690年(元禄3年)に訪れた時に風邪をひいて本福寺に滞在したのだという。 その時に詠んだのが 「病雁の 夜寒に落ちて 旅寝かな」 |
翌年、近くの浮御堂で十六夜の月を愛でた芭蕉は、 「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」 と詠んでいる。 この頃、芭蕉は義仲寺境内の無名庵で暮らしていたらしい。 浮御堂は、恵心僧都源信が衆生済度と琵琶湖の湖上安全を祈願して阿弥陀仏を安置した堂。 源信は、紫式部の『源氏物語』の最後の十帖「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルともいわれる。 |
滋賀県大津市本堅田1-22-30 JR堅田駅からバス「堅田出町」下車 |
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