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『吾妻鏡』によると・・・ 1223年(貞応2年)6月20日、北条義時は「富士浅間の宮」の「遷宮の儀」を執り行ったのだという。 『北条九代記』は・・・ 孝霊天皇が即位して5年目に近江の琵琶湖が水をたたえ、その日に富士山がわき出した。 863年(貞観5年)秋8月、富士山頂に天空から白衣の神女が舞い降り、それからこの宮での神事が始まった。 祭神は、伊豆の三嶋明神の「大山祗神」(おおやまつみのかみ)の娘である「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)。 この祭神の御加護は遠く国内に至らぬ所なく、その御威光は日本全国に及び、朝方参拝すれば夕方には願がかなってそのお礼参りをするほどだった。 ということで・・・ 義時は深々とおじぎをして、国家の安全を祈願して、遷宮の儀を執り行ったのだと伝えている。 |
1223年(貞応2年)、富士山本宮浅間大社の遷宮の儀を執り行った北条義時は、同年、北口本宮冨士浅間神社の東宮本殿を創建している。 現在の建物は1561年(永禄4年)に武田信玄が再建したもので国の重要文化財。 |
本宮:静岡県富士宮市宮町1−1 奥宮:富士山頂上 JR身延線 富士宮駅から徒歩約10分 |
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