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北口本宮冨士浅間神社は、110年(景行天皇40年)、日本武尊が東夷征討の際に大塚丘より富士山を遙拝し、「富士はこの地より拝すべし」という仰せ言があったことから、大鳥居が建てられ浅間大神と日本武尊が祀られたのを始まりとしている。 のちの788年(延暦7年)、甲斐守紀豊庭(きのとよひろ)が現在地に社殿を造営して浅間大神を遷し、大塚丘には日本武尊を祀ったのだという。 本殿・東宮・西宮は国の重要文化財。 北口本宮冨士浅間神社は、世界文化遺産「富士山」の構成資産。 |
木花開耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと) 彦火瓊瓊杵命 (ひこほのににぎのみこと) - 夫神 大山祇神(おおやまづみのかみ) - 父神 |
現在の本殿は、1615年(元和元年)、鳥居土佐守による再建。 桃山時代の高荘な建造物として国の重要文化財に指定されている。 |
1223年(貞応2年)、鎌倉幕府二代執権の北条義時による創建。 同年、義時は富士山本宮浅間大社の遷宮の儀を執り行っている。 現在の建物は1561年(永禄4年)に武田信玄が再建したもので、国の重要文化財に指定されている。 |
1594年(文禄3年)の建立。 正面扉下の彫刻及び蟇股など立派で、国の重要文化財に指定されている。 |
北口本宮冨士浅間神社が鎮座する地は、古来よりの「諏訪の森」で、当初は諏訪神社が祀られ、その後、浅間神社が勧請されたものと考えられている。 |
北口本宮冨士浅間神社の裏手にある富士吉田口登山道(世界文化遺産「富士山」の構成資産)の入口。 かつて登山道には「泉水(泉瑞:せんずい))」と呼ばれる湧き水があって、源頼朝が富士裾野の巻狩りの際に、鞭で岩を突いたところ湧き出したと伝えられている。 |
※ | 吉田口登山道の二合目には、冨士御室浅間神社(富士河口湖町)の本宮が鎮座する。 |
樹齢千年ともいわれる古木(県天然記念物) |
二本のヒノキの古木が地上12メートル付近で合着している(市天然記念物) |
1565年(永禄8年)5月、富士浅間大菩薩に息女の病気平癒を祈願したもので、信玄の自筆とされる。 この願文は、御師の注連沢家(しめざわけ)伝わったもので、現在は富士吉田市歴史民俗博物館に寄贈されている(北口本宮冨士浅間神社には写しが伝えられている。)。 願文に書かれている息女とは、織田信長の嫡男信忠と婚約をした松姫(信松院)だと考えられるという。 なお、信玄は1557年(弘治3年)と1566年(永禄9年)の二度にわたり北条氏政室となった黄梅院の安産・無病延命を浅間大菩薩に祈願しており、その願文は冨士御室浅間神社に伝えられている。 また、1566年(永禄9年)に冨士御室浅間神社で行われた「大般若経真読会」は、嫡男義信室となった今川義元息女の病気平癒祈願だったと考えられるという。 |
北口本宮冨士浅間神社の門前には、御師(おし)の住宅が建ち並んでいたという。 |
神変大菩薩とは、富士山開山の祖といわれる役小角のこと(参考:役の小角社(伊豆山神社))。 |
明治の神仏分離まであった仁王門の礎石。 |
富士講の開祖角行東覚が爪立ちして30日間の荒行を積んだという石。 参考:人穴富士講遺跡 |
山梨県富士吉田市上吉田5558 富士急行線富士山駅より徒歩25分 |
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