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伊東は、伊豆に流された源頼朝の監視役だった伊東祐親の領地。 頼朝の最初の妻は、祐親の娘八重姫。 伊東には、頼朝と八重姫の伝説が残された寺社や史跡が多く残されています。 頼朝が流された地は蛭ヶ小島と言われますが、最初の配流地は伊東とする説があります。 |
源頼朝が流された地は伊東という説 |
物見塚公園は、伊東祐親の館跡と伝えれています。 |
祐親は、頼朝の挙兵に敵対し、捕らえられた後、預けられていた三浦義澄の屋敷で自害したのだといいます。 物見塚公園の近くに祐親の墓(供養塔)が建てられています。 |
東林寺は、祐親が子の河津祐泰の菩提を弔うために建立したことに始まる寺。 |
葛見神社は、伊東家の守護神。境内に聳える大クスは、伊東市の天然記念物。 |
祐親の子河津祐泰は、領地問題のもつれから工藤祐経に殺害されました。 赤沢にある血塚は、祐泰が落命した地。 |
椎の木三本 |
頼朝の馬蹄石 |
伊豆の流人となった頼朝は、やがて祐親の娘八重姫と結ばれます。 祐親が大番役で上洛していたときの事でした。 |
音無神社は、頼朝と八重姫が密会を繰り返した「おとなしの森」に鎮座する社。 |
八重姫と密会するため、日暮れになるのを待った場所が、日暮八幡神社が鎮座する「ひぐらしの森」だったのだと伝えられています。 |
頼朝と八重姫の間には、男児が生れ、千鶴丸と名づけられましたが・・・ 大番役から帰った祐親に殺されてしまいます。 産衣石は、千鶴丸の遺体が流れ着いたという富戸の海岸にある岩。 |
富戸の三島神社には、千鶴丸が祀られています。 |
千鶴丸を殺した祐親は、八重姫を江間小四郎に嫁がせます。 最誓寺は、八重姫と江間小四郎が千鶴丸を供養するために建てたのが始まりと伝えられています。 江間小四郎とは北条義時のことと言われていますが・・・ |
江間四郎・江間小四郎と呼ばれた北条義時 |
八重姫と頼朝が結ばれたことを知った祐親は、頼朝も殺そうとしたそうです。 祐親の子祐清からその計画を知らされた頼朝は、熱海の走湯権現(伊豆山神社)へ逃げ込んだのだと伝えられています。 熱海には一杯水と今宮神社にその伝説が残されています。 |
一杯水 |
今宮神社 |
頼朝のことを忘れられない八重姫は、頼朝のいる北条館を訪ねますが、頼朝は北条時政の娘政子と結ばれていました。 悲しんだ八重姫は真珠ヶ淵に身を投げたのだと伝えられています。 |
伊豆山神社 (熱海市) |
箱根神社 (箱根町) |
三嶋大社 (三島市) |
伊豆山神社・箱根神社・三嶋大社は、流人時代の源頼朝が源氏再興を祈願した社。 鎌倉幕府を創設した頼朝は、伊豆・箱根の二所権現と三嶋社を参詣する「二所詣」を始め、幕府の公式行事となりました。 |
頼朝を尊敬していたという徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利すると、江戸城の大拡張工事にとりかかります。 伊豆高原駅前には、その際に切り出された伊豆石が置かれています。 |
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