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最誓寺(さいせいじ)は、鎌倉時代初期に江間小四郎と八重姫の発願により創建された真言宗の西成寺が始まりという寺院。 『曽我物語』によると、伊豆に流された源頼朝は、いつしか伊東祐親の三女八重姫と恋仲となり、一子千鶴丸を授かるが、祐親の怒りに遭い、千鶴丸は殺され、八重姫は江間小四郎に嫁がされたのだという。 その後、千鶴丸の菩提を弔うために建てられたのが西成寺だったのだと伝えられている。 1596年(慶長元年)、宗銀によって曹洞宗に改宗され、寺号も最誓寺に改められた。 本尊は阿弥陀如来。 本堂には、八重姫が奉納したという千鶴丸地蔵菩薩像が安置されている。 寿老神は伊東七福神の一つ。 |
八重姫が父の祐親の命で嫁がされたという江間小四郎(小次郎・次郎とも)は、北条義時のこととも伝わるが、通説では別人とされている。 ただ、頼朝が挙兵した後、八重姫が産んだ江間小四郎の子を義時が養育したという伝承もあり、義時も江間の地を得て江間小四郎と呼ばれるようになるので、義時と八重姫が結婚をしていたとしても不思議ではないのかもしれない。 |
※ | 伊東家の菩提寺東林寺には、千鶴丸の木像が安置されている。 |
伊東家の墓は、廃寺となった東光寺にあったもの。 東光寺は、東林寺とともに伊東家の菩提寺として栄えたが、伊東家の衰えとともに衰退し、江戸時代末期に廃寺となったのだという。 伊東市の指定史跡。 |
境内の樹齢600年ともいわれる大ソテツは、伊東市の天然記念物に指定されている。 |
最誓寺の後方は、源頼朝と八重姫が密会を重ねていたという「おとなしの森」 そこに鎮座するのが音無神社。 |
音無神社の後方を流れる松川の対岸には、源頼朝が八重姫に会うために日暮れになるのを待ったという「ひぐらしの森」があった。 そこに鎮座するのが日暮八幡神社。 |
富戸にある産衣石は、千鶴丸の伝説が残された石。 伊東祐親に殺された千鶴丸は、この場所に流れ着いて、甚之右衛門という漁師に葬られたのだと伝えられている。 |
産衣石の北に鎮座する三島神社には、千鶴丸が祀られている。 |
千鶴丸が殺害された後、源頼朝も命を狙われ、走湯権現(現在の伊豆山神社)に逃れた。 その途中で喉の渇きを潤したのが一杯水で、のちに一杯水の傍らに千鶴丸を供養するための地蔵尊が祀られたのだという。 |
伊東市音無町2−3 JR伊東駅から徒歩15分程度 |
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