|
走湯山(走湯権現・伊豆山権現)と、箱根山(箱根権現)への信仰は平安時代から続くもの。 ただ、走湯山・箱根山の二所権現と三嶋社へ参詣する「二所詣」は、源頼朝によって始められた。 走湯山は熱海市の伊豆山神社、箱根山は箱根町の箱根神社、三嶋社は三島市の三嶋大社。 いずれの神社も、頼朝が源氏再興を祈願し、頼朝に天下を取らせたパワースポット。 |
『吾妻鏡』の記録では、1188年(文治4年)正月20日、源頼朝は伊豆山(走湯山)・箱根山・三嶋社参詣のため鎌倉を出発している。 これが源頼朝の「二所詣」の最初の記録といわれている。 この時の二所詣では、大内義信、源範頼、足利義兼らが供をし、武田信光、小笠原長清、小山朝光らの武装兵300騎馬が従っていたという。 三浦義澄は相模川に浮橋を架けている。 |
『吾妻鏡』によると、「二所詣」に出発する前には鶴岡八幡宮への参詣が行われている。 1191年(建久2年)の「二所詣」では、2月4日午前8時頃に御所を出た源頼朝は、横大路を通って、まず鶴岡八幡宮を参詣し、その後、若宮大路を南行して稲村ヶ崎で行列を整えている。 |
『吾妻鏡』によると、二所詣の前には沐浴で身を清める「二所精進」が行われていた。 1191年(建久2年)の二所詣では、正月28日、水干姿で由比ヶ浜に出た源頼朝は、潮浴で身を清めた後、浄衣に着替えている。 |
二所詣の行列は、多くの御家人が随行して、かなり大規模なものだった。 |
二所詣は、「鎌倉→走湯山→三嶋社→箱根山→鎌倉」という経路で始められたが、1190年(文治6年)に「鎌倉→箱根山→三嶋社→走湯山→鎌倉」と変更されている。 『吾妻鏡』によると、初めに走湯山を参ると、頼朝が途中の石橋山で佐奈田与一義忠とその郎党文三の墓を見て涙を流してしまうため、参詣の案内人が「参詣途中には殊に慎むべき」と指摘したことにより経路が変更されたのだとか・・・ |
佐奈田霊社 |
文三堂 |
佐奈田与一義忠とその郎党文三は、1180年(治承4年)の石橋山の戦いで先陣を切って戦い討死している。 |
『吾妻鏡』によると、1194年(建久5年)は、源頼朝ではなく、何故か北条政子の二所詣。 1月29日に出発した政子は、2月3日に帰っている。 |
源頼朝が亡くなった後も二所詣は行われ、1327年(嘉暦2年)まで続いた。 頼朝の子源実朝をはじめとする代々の将軍家はもちろん、北条政子・北条泰時など北条氏による二所詣も行われている。 |
湯前神社 (熱海市) |
十国峠 (熱海市) |
和歌に秀でた源実朝は、二所詣のときにも各地で和歌を残している。 |
伊豆箱根の走湯山・箱根山の二所権現と三嶋社は、いずれも1180年(治承4年)に源氏再興の旗挙げをした源頼朝を援助した。 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|