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伊東祐親は、伊豆国田方郡伊東荘を領し、伊豆国に流されてきた源頼朝の監視役を任されていた武将(参考:蛭ヶ小島)。 1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると平家の恩に報いるため、平家方に付いた。 しかし、富士川の戦いで捕らえられ、1182年(養和2年)2月14日、相模国の三浦義澄の屋敷で自害したといわれ、伊東市大原町にある五輪塔は、鎌倉時代から南北朝期にかけて、子孫が供養のために建てたものと考えられている。 |
『吾妻鏡』では、伊東祐親は三浦義澄邸で自刃したとされているが、葉山町史によると鐙摺山で処刑されたのだという。 |
『吾妻鏡』によると、石橋山の戦いで源頼朝に敵対した伊東祐親は、1180年(治承4年)10月19日、天野遠景に捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられていた。 1182年(養和2年)2月14日、頼朝の妻政子が懐妊したことで助命されるが、これまでの所業を恥じて自害してしまう。 その翌日、祐親の子の祐清が死刑となった。 祐清は、1175年(安元元年)、祐親が頼朝を殺そうとした時、そのことを頼朝に知らせている(参考:八重姫との恋)。 そのおかげで頼朝は伊豆山権現に逃げ込むことができたことから、頼朝はそのことを誉め、褒美を与えようとしたのだが、祐清は死刑を望んだのだという。 |
※ | 祐清は、頼朝の乳母比企尼の三女を妻とし、北条時政が烏帽子親だった。 |
※ | 『吾妻鏡』には、祐清は北陸合戦で討死したという矛盾した記事も載せられ、どちらが正しいのかは不明。 |
一杯水 (熱海市) |
今宮神社 (熱海市) |
祐親に命を狙われた頼朝が、伊豆山権現に逃れる途中で喉の渇きを潤したのが一杯水。 その後、開運を祈願したのが今宮神社なのだとか・・・ |
東征軍の敗走・・・富士川の戦い(okadoのブログ) |
東林寺 (伊東家の菩提寺) |
葛見神社 (伊東家の守護神) |
伊東祐親の墓は、その館跡と伝えられる物見塚公園から徒歩5分程度。 |
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