前線に出て戦ったことが少ない源頼朝ですが、その武芸はどのようなものだったのでしょうか? 『平治物語』によると・・・ 1159年(平治元年)12月、平治の乱で初陣を果たした源頼朝は、「生年十三」と名乗つて、敵二騎を射落とし、一騎に傷を負わせたのだとか。 『吾妻鏡』によると・・・ 1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、杉山へと逃れて堀内に陣取りますが、敵将の大庭景親が3000騎を率いて追いかけてきました。 加藤景廉・佐々木高綱・天野遠景・堀親家などが防ぎますが、頼朝も弓矢をとり百発百中の芸を振るいます。 戦いは何度にもおよび、頼朝の射た矢は全て突き通り、多くの者を射殺したのだとか。 参考までに、北条義時は弓馬の達人らしい・・・ |
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