1190年(建久元年)10月3日、源頼朝は上洛のため一千余騎の精兵をひきつれて鎌倉を発ちます。 その途上の遠江国菊川宿でのこと。 10月13日、佐々木盛綱が四角いお盆に鮭の楚割(すわやり)に小刀を添えたものを子息に命じて頼朝の宿に届けさせました。 |
※ | 楚割は、細長く切って干した保存食で削って食べるらしい。 |
盛綱は頼朝にこう言います。 「たった今、これを削って食したところ、美味なものです。 早く召し上がってみてください」 その味を気に入った頼朝は、和歌を楚割のお盆に自筆で書いたのだといいます。 「待ちいたる人の情けもすはやりの割りなくみゆる志かな」 盛綱は、1194年(建久5年)2月14日にも越後国加治庄の土産として生鮭二匹を頼朝に届けています。 鮭がお気に入りの頼朝は、一匹を御所で働く者にも分けてあげたのだとか。 |
頼朝に鮭を献上した佐々木盛綱は、頼朝が伊豆の流人だった頃から仕えていた佐々木四兄弟の三男。 1180年(治承4年)、頼朝が源氏再興の挙兵をした時、最初の標的となった伊豆国目代の山木兼隆を討ち取ったのは、盛綱と加藤景廉でした。 |
小動神社は、佐々木盛綱が近江の八王子社を勧請したことに始まるのだといいます。 佐々木氏は近江源氏。 |
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