1083年(永保3年)、後三年合戦に出陣した源義家。 兵糧として煮豆を俵に入れておいたそうです。 そうしたら・・・ ワラの菌が煮豆に付着して糸を引くようになってしまった・・・ 偶然にできた納豆。 他に食べるものもないので、試しに食べてみると美味しかったのだとか・・・ 発酵してしまった煮豆は、兵糧ではなく馬糧(軍馬の飼料)だったという説も。 岩手県横手市の金沢公園には、「納豆発祥の地碑」が建てられているらしい。 |
義家は、河内源氏二代棟梁源頼義の子。 石清水八幡宮で元服したので「八幡太郎」と呼ばれました。 |
父の頼義は、甘縄神明神社で祈願して義家を授かったのだといいます。 |
大国魂神社の参道のケヤキは、頼義・義家父子が「前九年の役」を平定したときに寄進した「けやきの苗木」が始まりなのだとか。 |
壺井八幡宮は、頼義が石清水八幡宮を勧請して創建した社。 |
羽曳野市は、源頼信・源頼義・源義家の三代が本拠とした地であることから「河内源氏発祥の地」と呼ばれています。 |
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