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土御門殿(土御門第)は、源雅信が建設したという邸宅。 雅信の死後、娘の倫子と結婚した藤原道長が継承。 道長の姉で一条天皇の母・詮子の御所ともなり、道長の娘で一条天皇の中宮・彰子は後一条天皇と後朱雀天皇を出産。 彰子の妹・嬉子は後冷泉天皇を出産。 道長の妹で居貞親王(のちの三条天皇)に入内した綏子も宮中を去った後、ここで暮らしている。 上東門第(じょうとうもんてい)・京極殿(きょうごくどの)とも呼ばれ、道長の栄華を象徴する邸宅だった。 1016年(長和5年)に焼失するが、諸国の受領たちの奉仕によって再建され、源頼光が家具・調度のすべてを献上したのだという。 道長の死後は、嫡男の藤原頼通、孫の藤原師実が継承。 度重なる火災で焼失したが、その度に再建された。 しかし、鎌倉時代に入ると荒廃。 吉田兼好の『徒然草』には、道長が土御門殿の東に建立した法成寺とともに廃墟となっている様子が記されている。 |
藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語〜『紫式部日記』〜 紫式部は「源倫子にも仕えていた」という説 藤原道長と源倫子〜倫子の母藤原穆子は道長の才能を見抜いていた!〜 |
999年(長保元年)、道長の姉・詮子は土御門殿に遷御。 このとき道長は詮子の御在所で競馬を開催している。 |
東三条院競馬〜藤原道長の私的開催と藤原詮子〜 |
1008年(寛弘5年)5月、土御門邸では藤原彰子の安産祈願のための法華三十講が行われた。 彰子に仕えていた紫式部・大納言の君・小少将の君は、それぞれの思いを和歌にのせている。 |
紫式部の歌〜妙なりや・・・5月5日の法華経第5巻〜 紫式部の歌〜紫式部と大納言の君の篝火の歌〜 紫式部の歌〜菖蒲の歌:小少将の君と紫式部の贈答歌〜 |
1008年(寛弘5年)9月11日、土御門邸で藤原彰子が一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。 『紫式部日記』には、その様子が詳しく記されている。 |
藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語〜『紫式部日記』〜 |
越前市の紫きぶ七橋には、彰子出産後の土御門邸の様子を描いた『紫式部日記絵巻』のレリーフがはめ込まれている。 |
藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語〜『紫式部日記』〜 渡殿の紫式部の局の戸をたたく藤原道長(越前市・紫きぶ七橋) 御産養の夜、中宮(彰子)の前に対座し静かに御簾をあげる紫式部(越前市・紫きぶ七橋) 御産養の盛儀を覗き見て感激する夜居の僧(越前市・紫きぶ七橋) 道長から賀の歌を求められる紫式部(越前市・紫きぶ七橋) 御五十日の祝いの宵、若宮に餅を供する道長(越前市・紫きぶ七橋) 御五十日祝いに若宮を抱く中宮と祝膳を供する女房(越前市・紫きぶ七橋) 新造の竜頭鷁首の舟を下見する道長(越前市・紫きぶ七橋) |
『紫式部日記』によると、1008年(寛弘5年)11月、出産のため土御門邸に里下がりしていた藤原彰子は、内裏(一条院)に還御するまでの間に草子作りを始めた。 この草子は、紫式部の『源氏物語』と推測されている。 また、11月1日には、皇子の「五十日の祝い」で藤原公任が紫式部を「若紫」と呼ぶ記事が載せられ、これが『源氏物語』が文献上で初登場した日とされている。 |
御草子作り〜藤原彰子のもとで清書された『源氏物語』:紫式部日記〜 藤原公任と紫式部〜源氏物語の初登場と古典の日:紫式部日記〜 紫式部の歌〜源氏物語について交わした藤原道長との贈答歌〜 |
赤染衛門は女流歌人。 源雅信邸に出仕して藤原道長の正室・源倫子や娘の彰子に仕え、夫大江匡衡との仲が良かったことから「匡衡衛門」とも呼ばれた。 紫式部・和泉式部の同僚で、清少納言とも親交があった。 源雅信の正室・藤原穆子が産んだ寂源とも交流。 大原の勝林院を再興した寂源のもとには道長もたびたび尋ねていたのだという。 |
紫式部は「源倫子にも仕えていた」という説 |
東三条院(東三条殿)は、摂関家の邸宅。 ここで、道長の長姉・藤原超子は三条天皇を、次姉の詮子は一条天皇を産んでいる。 道長の娘で三条天皇の中宮となった藤原妍子の御所、一条天皇の中宮・彰子が産んだ後朱雀天皇の里内裏としても使用された。 |
藤原詮子の晩年 〜平惟仲邸が御所・藤原行成邸で崩御〜 |
法成寺は、藤原道長が土御門殿の東側に創建した寺院。 晩年の道長は、法成寺に住んで、阿弥陀堂で亡くなったのだという。 |
藤原道長の出家と最期 |
枇杷殿は、土御門殿の西側にあった御殿。 内裏焼失の際に一条天皇が遷御し、皇太后となった皇太后となった藤原彰子が使用。 紫式部もここに出仕していた。 |
白河殿は、藤原良房の別荘がはじまりで、以後、摂関家嫡流が継承し、道長や子の頼通も所有した。 道長の時代には、藤原済時や藤原公任も白河に別業を設け「小白河殿」と呼ばれていたらしい。 |
土御門殿の東側には、紫式部の邸宅もあった。 蘆山寺はその邸宅跡とされている。 |
『源氏物語』の主人公・光源氏が建設した六条院は、土御門殿がモデルともいわれる。 |
土御門殿は、京都御所の東側、仙洞御所の北側一帯にあった。 |
京都市上京区京都御苑3 地下鉄烏丸線「今出川駅」より徒歩5分 |
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