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藤原綏子(ふじわらのすいし・やすこ)は、摂政太政大臣・藤原兼家の三女。 母は藤原国章の娘。 974年(天延2年)誕生。 989年(永祚3年)、冷泉天皇の第二皇子で一条天皇の皇太子となっていた居貞親王(のちの三条天皇)に入内。 居貞親王は異母姉の藤原超子の子。 |
藤原兼家 |
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容貌が美しかったため、はじめは居貞親王の寵愛を受けていたが、まもなく寵を失い、里第に籠るようになる。 そして、長徳年間(995年-999年)、源頼定と密通事件を起こし宮中を去ることに。 頼定は村上天皇の孫。 居貞親王も村上天皇の孫。 居貞親王は頼定を蹴り殺してやろうと思ったそうだが、村上天皇の名を穢してしまうためやめたのだという。 宮中を去った綏子は、兄の藤原道長の土御門殿で姉の詮子や道長の庇護を受けて暮らした。 1004年(寛弘元年)2月7日薨去(31歳)。 |
源頼定は、村上天皇の第二皇子・為平親王の子。 母は源高明の娘。 美貌の貴公子で、清少納言の『枕草子』に登場する「宮の中将」は頼定のことらしい。 三条天皇の時代には昇進が止まったが、一条天皇・後一条天皇の時代には正三位・参議に昇進している。 一条天皇崩御後、女御だった藤原元子(藤原顕光の長女)とも通じたらしい・・・ |
土御門殿は藤原道長の邸宅。 道長の姉で一条天皇の母・詮子の御所ともなり、道長の娘で一条天皇の中宮・彰子は後一条天皇と後朱雀天皇を出産している。 |
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