|
藤原超子(ふじわらのちょうし・とおこ)は、藤原兼家の長女。 母は藤原中正の娘・藤原時姫。 誕生は954(天暦8年)頃。 968年(安和元年)、冷泉天皇の後宮(后妃やその子の住まい)に入内、同年、女御の宣旨を受ける。 当時、父の兼家は蔵人頭で、公卿ではない人物の娘が女御宣下を受けたのは初めてだったのだという。 翌年、冷泉天皇は弟の円融天皇に譲位するが、超子は・・・ 973年(天延元年)に光子内親王、 976年(天延4年)に居貞親王(のちの三条天皇)、 977年(貞元2年)に為尊親王、 981年(天元4年)に敦道親王を産んだ。 |
※ | 為尊親王と敦道親王は和泉式部と恋愛関係になった・・・ |
赤染衛門の歌~和泉式部の不倫に反省を促す歌~ |
東三条院(東三条殿)は、摂関家の邸宅。 ここで、超子は三条天皇を、妹の詮子は一条天皇を産んでいる。 一条天皇の即位後、皇太后となった詮子は、東三条院と呼ばれた。 |
三男一女を産んだ超子だったが、三条天皇の即位を見ることなく、982年(天元5年)に早世。 宇治木幡の宇治陵に葬られた。 |
浄妙寺は、宇治木幡の宇治陵に藤原道長が建立した寺。 室町時代に廃絶。 道長や彰子も宇治陵に埋葬されたようだが、埋葬地は不明。 |
三条天皇が即位したのは超子の死から約30年後の1011年(寛弘8年)6月13日。 それから6年後の1017年(寛仁元年)5月9日、42歳で崩御。 陵墓は北山陵。 |
人間の体内には3種類の悪い虫(三尸の虫)が棲み、庚申の日に睡眠中に体内から抜け出して、その人の悪事を天帝に報告に行くといわれてきた。 そのため、貴族の間では「庚申の日の夜は眠ってはならない」とされ、夜通し酒宴を行う「庚申待ち」の風習があった。 超子は、庚申の日の明け方、脇息に寄りかかったまま息絶えたのだという。 |
八坂庚申堂は日本最古の庚申堂といわれ、本尊の青面金剛は三尸の虫を食べてくれる・・・ |
庚申の日~眠ってはならない夜 「庚申待」「守庚申」~ 清少納言の庚申の夜~『枕草子』五月の御精進のほど~ |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|