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藤原時姫(ふじわらのときひめ)は、摂政太政大臣・藤原兼家の正室。 父は摂津守・藤原中正。 道隆・道兼・道長・超子・詮子の母。 980年(天元3年)1月15日、 死去。 『日本紀略』には、3月9日、法性寺で盛大な法要が営まれたことが記されている。 |
法性寺は、兼家の祖父・藤原忠平が創建した藤原氏の氏寺。 往時は東福寺から泉涌寺までの広大な敷地を有し、百を超える堂塔が建ち並んでいた。 |
吉田神社は、平安京の守護神として時姫の祖父・藤原山蔭が春日大社を勧請して創建した社。 娘の詮子が産んだ一条天皇が即位すると大原野神社と並んで崇敬されるようになる。 藤原道長の法成寺と吉田神社を崇めることは興福寺と春日大社を崇めるのと同じともいわれたらしい。 |
藤原兼家には、藤原道綱を産んだ妻もいた。 道綱の母は美しい女性だったらしい。 『蜻蛉日記』には、兼家との結婚生活のことや、正室の時姫のことが描かれている。 |
藤原時姫と藤原道綱母~蜻蛉日記:兼家の愛人と和歌~ 賀茂祭の連歌対決~蜻蛉日記:藤原時姫と藤原道綱母~ 藤原道綱母の歌~嘆きつつひとり寝る夜 夫兼家への皮肉の歌~ |
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