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法性寺(ほっしょうじ)は、924年(延長2年)、藤原忠平によって創建された寺院。 藤原氏の氏寺として栄え、法性寺関白と呼ばれた藤原忠通の時代には、境内地が東福寺から泉涌寺の寺域までをも含む広大なものだったと伝えられる。 建てられた堂塔は百を超えていたのだとか。 しかし、その後の兵火により焼失し、1239年(延応元年)には、境内に九条道家が東福寺を建立。 泉涌寺も寺域を広げたことから、縮小されていった。 現在の法性寺は、浄土宗西山禅林寺派の尼寺で、明治維新後に再興されたもの。 本尊の千手観世音菩薩像は、かつての法性寺灌頂堂の本尊だったといわれ、国宝に指定されている。 |
東福寺の塔頭同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡。 |
晩年、病に苦しんだ藤原道長は、自邸の土御門殿の東側に法性寺に替わる祈願所としての法成寺を建立している。 摂関時代の最大の寺院といわれ、1027年(万寿4年)12月4日、道長は法成寺で亡くなっている。 |
法性寺では、985年( 寛和元年)7月18日に亡くなった藤原為光の娘・藤原忯子の四十九日法要が営まれている。 忯子は、花山天皇に入内して懐妊したが、懐妊7か月で薨去。 |
藤原忯子の懐妊と死~花山天皇は?父藤原為光は?~ |
京都市東山区本町16-307 「東福寺」駅より徒25分 |
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