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藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)は、藤原兼家の次男・道綱の母。 歌人・藤原倫寧の娘。 道綱の母が書いた『蜻蛉日記』は、兼家との結婚生活・兼家の正室時姫とのこと・兼家の愛人のことなどが記録されている。 『蜻蛉日記』は、紫式部の『源氏物語』はじめとする多くの文学に影響を与えた。 藤原時姫とは妻としての地位を争ったようだが、道隆・道兼・道長・超子・詮子といった多くの子女に恵まれた時姫を超えることはできなかった。 初瀬詣・石山詣を重ねて出産を祈ったが叶わなかったのだという。 晩年は、夫に省みられる事も少なくなり、中川の屋敷で歌人として過ごし、995年(長徳元年)に没した。 『更級日記』の作者・菅原孝標女は道綱の母の姪。 大河ドラマ「光る君へ」では藤原寧子(ふじわらのやすこ)という名で登場予定。 |
藤原時姫と藤原道綱母~蜻蛉日記:兼家の愛人と和歌~ 賀茂祭の連歌対決~蜻蛉日記:藤原時姫と藤原道綱母~ 藤原道綱母の歌~嘆きつつひとり寝る夜 夫兼家への皮肉の歌~ |
大和国長谷寺は、初瀬寺とも呼ばれ、平安時代には初瀬詣が流行し、藤原道長や清少納言・紫式部・赤染衛門・菅原孝標女も参詣した。 |
石山寺も平安時代には石山詣が盛んに行われ、紫式部が『源氏物語』を書き始めた寺として知られている。 970年(天禄元年)、道綱の母は夫兼家の不実に悩み、出家を考えて石山寺に参籠。 それを聞いた兼家は石山寺に駆け付けたのだが、物忌中だったため門前に停めた車からは降りず、子の道綱に言葉を伝えさせたのだとか。 |
物忌み~源氏物語にも描かれた陰陽道信仰~ 清水詣・石山詣・初瀬詣~平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺~ |
『源氏物語』に登場する花散里が住んでいた麗景殿女御邸や空蝉が住んでいた中川の家は、梨木神社辺りだったのではないかといわれている。 道綱の母もこの辺りに暮らしたのだろうか。 梨木神社の近くには紫式部の邸跡とされている蘆山寺がある。 |
唐崎神社は日吉大社の摂社。 祓いの霊場で、兼家の訪れが途絶えた藤原道綱母は、気晴らしのために唐崎の祓に出かけている。 |
一条戻橋の東には藤原道綱母の父倫寧の邸宅・一条邸があって、道綱はここで育った。 のちに源頼光に譲られたが、頼光の娘を娶った道綱は頼光の所有となってからも居住していたのだという。 |
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