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嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る |
「一人で嘆きながら夜が明けるまで寝ている時間がどれだけ長いか分るでしょうか?分からないでしょうね」 『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母が夫藤原兼家に対して詠んだ皮肉の歌。 明け方に兼家が通ってきて門を叩いたが、門を開けずにいると、兼家は他の女のところに行ってしまったのだとか。 この日の数日前、兼家は内裏に用があるといって出かけたが・・・ あやしんだ道綱母が使用人に跡をつけさせると、町小路の女のところに車を停めていたらしい。 道綱母がこの歌を色あせた菊に挿して兼家に贈ると・・・ |
げにやげに 冬の夜ならぬ まきの戸も おそくあくるは わびしかりけり |
「冬の長い夜が明けるのを待つのはつらいものですが、冬の夜でもない真木の戸が開かないのもつらいことです」 兼家の返歌。 兼家は、門が開くまで待っていようと思ったが、急用の召使の者が来合わせてしまったらしい。 |
『蜻蛉日記』は、浮気性の兼家との結婚生活を綴った回顧録。 兼家の正妻・時姫と妻の地位を争い、長谷寺や石山寺の参詣を重ねていたことなども記されている。 『蜻蛉日記』の「嘆きつつひとり寝る夜・・・」は、『百人一首』にも収録されている歌。 |
藤原時姫と藤原道綱母~蜻蛉日記:兼家の愛人と和歌~ 賀茂祭の連歌対決~蜻蛉日記:藤原時姫と藤原道綱母~ |
一条邸は、一条戻橋の東ににあった道綱母の父倫寧の邸宅。 955年(天暦9年)に誕生した道綱はここで育った。 「嘆きつつひとり寝る夜」の歌は、道綱が生まれた年の冬に詠まれたもの。 |
970年(天禄元年)、道綱母は夫兼家の不実に悩み、出家を考えて石山寺に参籠。 それを聞いた兼家は石山寺に駆け付けたのだが、物忌中だったため門前に停めた車からは降りず、子の道綱に言葉を伝えさせたのだとか。 |
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