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内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 禁中・禁裏・御所などとも呼ばれる。 平安宮内裏は延暦年間(782−806)の造営。 内裏の周囲には、朝堂院・豊楽院や二官八省をはじめとした官庁が並んでいた。 これらの建物は、大垣(築地)で囲まれ、その囲まれた区域を大内裏あるいは平安宮と呼んだのだという。 南辺には紫宸殿・仁寿殿・承香殿・清涼殿が・・・ 北辺には弘徽殿・飛香舎(藤壺)・淑景舎(桐壺)などの後宮が建ち並び、それぞれの建物は廻廊や透渡廊で繋がっていた。 1177年(安元3年)に焼失し、その後は後再建はされていない。 紫式部の『源氏物語』では・・・ 桐壺帝の第一皇子(のちの朱雀帝)が紫宸殿で、第二皇子(光源氏)は清涼殿で元服式を行った。 光源氏が朧月夜と出逢った桜の宴は紫宸殿で行われた。 弘徽殿には、朱雀帝の母・弘徽殿女御が居住。 淑景舎には、光源氏の母・桐壺更衣が居住。 飛香舎には、桐壺更衣亡き後、桐壺帝の後妻となった藤壺中宮が住んだ。 |
内裏後宮・七殿五舎 |
弘徽殿 承香殿 麗景殿 登華殿 貞観殿 宣耀殿 常寧殿 |
飛香舎(藤壺) 凝花舎(梅壺) 昭陽舎(梨壺) 淑景舎(桐壺) 襲芳舎(雷鳴壺) |
内郭回廊は、内裏を囲んでい内側の回廊。 |
平安宮は、平安京の宮城。 |
大極殿跡 (朝堂院正殿) |
豊楽殿跡 (豊楽院正殿) |
大極殿は、朝堂院の正殿。 豊楽殿は、豊楽院の正殿。 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 |
建礼門跡 |
建春門跡 |
建礼門と建春門は平安宮内裏の外郭門。 |
紫宸殿跡 |
清涼殿跡 |
紫宸殿は、即位の礼や大嘗祭などが行われた殿舎。 清涼殿は、天皇の居所。 |
羅城門 |
朱雀門跡 |
794年(延暦13年)、桓武天皇が遷都した頃の平安京は・・・ 南の入口に羅城門。 その東西には王城鎮護の東寺と西寺が建てられた。 羅城門から北へ延びていたのがメインストリートの朱雀大路。 その北端には平安宮(大内裏)の正門・朱雀門。 |
東寺 |
西寺跡 |
平安神宮は、1895年(明治28年)に、平安遷都1100年を記念して朝堂院を8分の5の規模で復元したもの。 拝殿は大極殿を再現。 |
京都御所は、1869年(明治2年)まで、天皇が住まいする内裏があった所。 |
紫宸殿は、天皇の即位・元服・立太子・節会などの儀式が執り行われた場所。 |
清涼殿は、平安中期以降、天皇の住まいとして使用されてきた御殿。 |
京都市上京区下丸屋町512 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
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