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建春門(けんしゅんもん)は、平安宮内裏の外郭門の一つ。 この門の先には、宣陽門・温明殿・綾綺殿があり紫宸殿があった。 907年(延喜7年)、醍醐天皇は、この門を出御して仁和寺へ行幸したのだという。 |
平安宮建春門跡の近辺は、安土桃山時代の聚楽第南外濠跡でもある。 |
1169年(嘉応元年)、平滋子に建春門院の院号が下された。 内裏の門の名を女院号に採用した初例。 平滋子は、平清盛の継室・時子の姉妹で、後白河法皇の妃となり、高倉天皇を産んでいる。 |
1181年(養和元年)、平清盛の娘・徳子は建礼門院の院号宣下を受けている。 |
平安宮は、平安京の宮城。 |
内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 |
大極殿跡 (朝堂院正殿) |
豊楽殿跡 (豊楽院正殿) |
平安宮(大内裏)の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 大極殿は、朝堂院の正殿。 豊楽殿は、豊楽院の正殿。 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 |
京都御所は、1869年(明治2年)まで、天皇が住まいする内裏があった所。 |
紫宸殿は、天皇の即位・元服・立太子・節会などの儀式が執り行われた場所。 平安時代には、天皇の即位は大極殿で行われていたが、冷泉天皇は病気だったため内裏の紫宸殿(平安宮)で即位したのだという。 壇ノ浦の戦いで二位尼(平清盛の継室・平時子)に抱かれて入水した安徳天皇も紫宸殿で即位したのだとか。 |
京都市上京区田村備前町238−1 |
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