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弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物。 右大臣の娘で光源氏の父・桐壺帝の最初の妃。 第一皇子(朱雀帝)の母。 朱雀帝の即位後は弘徽殿大后と称する。 |
内裏の後宮の中で最も格の高かった弘徽殿に居住し、その地位は盤石だったが・・・ 桐壺帝が身分の低い桐壺更衣を寵愛し、第二皇子(光源氏)を出産すると、桐壺更衣を恨み、嫌がらせを繰り返して死に至らしめた。 桐壺更衣の死後は、桐壺帝に溺愛される光源氏に我が子が皇太子の地位を奪われるのではないかという不安から、光源氏を激しく憎み、事あるごとに対立。 東宮(のちの朱雀帝)に入内する予定だった妹の朧月夜と光源氏の密通が発覚すると、光源氏の失脚を謀り、須磨へ追放することに成功する。 密通発覚後、右大臣は光源氏と朧月夜を結婚させようとしているが弘徽殿女御は猛反対している。 |
光源氏が流されている間に朱雀帝が即位すると、東宮(のちの冷泉帝)を廃して八の宮(桐壺帝の第八皇子)を擁立しようとしたが・・・ 父の太政大臣(右大臣)が死去し、自らも病に倒れて発言力を失ってしまう。 そして、夢の中で亡き桐壺帝に光源氏の処遇について叱責されて重い眼病を患ってしまった朱雀帝が光源氏の召還を決定。 光源氏が都へ帰ると朱雀帝は冷泉帝に譲位。 光源氏は内大臣となり、光源氏の庇護者だった元左大臣が摂政となったことで、弘徽殿大后の政治人生は終わった。 |
※ | 冷泉帝は、桐壺帝の後妻となった藤壺が産んだ子だが、実は光源氏の子。 |
※ | 元左大臣は、光源氏の正妻・葵の上の父。 |
桐壺更衣は、桐壺帝の寵愛を受けすぎたため、国を亡ぼす楊貴妃に例えられた。 泉涌寺の楊貴妃観音像は、唐の皇帝玄宗が造立したもの。 |
内裏は、天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 |
紫宸殿跡 (平安宮) |
紫宸殿 (京都御所) |
弘徽殿女御が産んだ朱雀帝が元服したのは平安宮の紫宸殿。 光源氏と朧月夜が出逢ったのも紫宸殿。 京都御所の紫宸殿は、1855年(安政2年)に平安時代の建築様式で造営。 |
弘徽殿女御が居所としていた弘徽殿は、内裏の後宮七殿五舎の一つで後宮で最も格の高い殿舎。 |
冷泉帝に譲位した朱雀帝は、朱雀院を御所とした。 |
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