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平安神宮は、1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して創建された。 平安宮(大内裏)の政庁(朝堂院)が8分の5の規模で復元されたもので、平安遷都を行った桓武天皇と、平安京の最後の天皇となった孝明天皇が祀られている。 1976年(昭和51年)、放火によって本殿・内拝殿など9棟が焼失したが、3年後には再建されている。 2010年(平成22年)、大極殿など6棟が国の重要文化財に指定された。 本殿後方から東西に広がる神苑は、小川治兵衛が作庭した池泉回遊式庭園で国の名勝に指定されている。 |
應天門は朝堂院の正門。 扁額は弘法大師空海が書いたものだったのだと言われている。 「弘法にも筆の誤り」ということわざは、空海が応天門の扁額を書いたときに「應」の字の点を書き忘れてしまい、掲げられた額に筆を投げつけて書き足したという伝承から生まれたものらしい。 866年(貞観8年)に放火された事件では、大納言・伴善男は左大臣・源信の犯行を唱えたが、太政大臣・藤原良房は源信を無罪とし、伴善男の子中庸の犯行として善男父子が流罪となっている。 |
平安時代の即位の礼は、原則として平安宮朝堂院の大極殿で行われた。 ただ、冷泉天皇は病気だったため内裏の紫宸殿(平安宮)で即位し、これが紫宸殿での即位の礼の最初となる。 大極殿は1176年(安元2年)の焼失後、再建されなかったため、室町中期の後土御門天皇までは太政官庁を使用(安徳天皇は紫宸殿で即位)。 後柏原天皇以降は紫宸殿(京都御所)が使用され、昭和天皇まで続いた。 平安神宮の大極殿は拝殿として使用されている。 |
大極殿前に植えられている「桜」と「橘」。 京都御所の紫宸殿の南庭にも東に桜、西に橘が植えられ「左近の桜」、「右近の橘」と呼ばれている。 それぞれの近くに左近衛と右近衛が配陣したためそう呼ばれるようになった。 御室御所と呼ばれた仁和寺の宸殿前や嵯峨御所と呼ばれた大覚寺の宸殿前などにも「左近の桜」、「右近の橘」が植えられている。 |
神苑は、国の名勝指定を受けている回遊式池泉庭園。 |
羅城門 |
朱雀門跡 |
794年(延暦13年)、桓武天皇が遷都した頃の平安京は・・・ 南の入口に羅城門。 その東西には王城鎮護の東寺と西寺が建てられた。 羅城門から北へ延びていたのがメインストリートの朱雀大路。 その北端には朱雀門、朱雀門を入ると平安宮(大内裏)があった。 |
東寺 |
西寺跡 |
平安宮 (大内裏) |
内裏跡 |
平安宮は、平安京の宮城。 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 |
大極殿跡 (朝堂院正殿) |
豊楽殿跡 (豊楽院正殿) |
平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 大極殿は、朝堂院の正殿。 豊楽殿は、豊楽院の正殿。 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 |
紫宸殿跡 |
清涼殿跡 |
紫宸殿は、即位の礼や大嘗祭などが行われた殿舎。 清涼殿は、天皇の居所。 |
現在の京都御所は、里内裏の一つだった土御門東洞院殿の地。 南北朝期に北朝の内裏となり、明治天皇の東京行幸まで続いた。 |
紫宸殿 |
清涼殿 |
京都三大祭の一つ時代祭は、平安神宮の大祭。 京都御所の建礼門院前をスタートした行列が平安神宮を目指す時代絵巻。 |
京都市左京区岡崎西天王町 ・京阪鴨東線 神宮丸太町駅から徒歩約15分 ・京都市営地下鉄東西線 東山駅から徒歩約10分)・京都市営バス 「京都会館・美術館前」(5・32・46・急行100系統)下車、約3分。 |
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