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仁和寺の御殿(本坊)は、宇多法皇の御所があった辺りに建つことから「旧御室御所」とも呼ばれる。 白書院、宸殿、黒書院、霊明殿が渡り廊下で結ばれている。 これらの建物は、1887年(明治20年)に御殿が焼失した後のものだが、茶室「遼廓亭」(重要文化財)は、江戸時代の画家・尾形光琳の屋敷から移築されたもので、もう一つの茶室「飛濤亭」(重要文化財) は、江戸時代末期に光格天皇の好みで建てられた草庵風の茶席。 |
白書院は、1887年(明治20年)に御殿が焼失したことから、1890年(明治23年)に仮宸殿として建てられた。 その後、宸殿が再建されると「白書院」と呼ばれるようになる。 |
襖絵は松を主題にしたもので、1937年(昭和12年)に日本画家・福永晴帆が描いた。 前面の庭園は宸殿の南側にあることから「南庭」と呼ばれ、宸殿前には「左近の桜」、「右近の橘」が植えられている。 |
宸殿は、儀式や式典に使用される御殿の中心となる建物。 1887年(明治20年)に焼失するまでは、寛永年間に御所から下賜された常御殿(天皇の御座所)が使用されていた。 現在の建物は1914年(大正3年)の再建。 御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。 内部の襖絵や壁などの絵は全て日本画家・原在泉が描いた。 |
宸殿南側の南庭に植えられている「桜」と「橘」。 御所の紫宸殿の南庭にも東に桜、西に橘が植えられ「左近の桜」、「右近の橘」と呼ばれている。 それぞれの近くに左近衛と右近衛が配陣したためそう呼ばれるようになった。 平安京大内裏の正殿朝堂院を復元した平安神宮大極殿前にも「左近の桜」、「右近の橘」が植えられている。 |
宸殿の北側にあることから「北庭」と呼ばれる池泉式の庭園。 平安時代から造営されていたと考えられるが、応仁の乱の兵火によって詳しい史料が失われているため、いつ頃の作庭かは不明。 寛永年間の仁和寺復興時に庭園も整備されたと考えられている。 現在の庭園は、明治から大正にかけて日本庭園の先駆者と称される7代目小川治兵衛(植治)の作庭。 |
霊明殿は、1911年(明治44年)に建立された歴代門跡の位牌を安置する堂。 本尊は秘仏の薬師如来。 1103年(康和5年)、白河天皇の皇子・覚行法親王の発願により仏師円勢と長円が造像したもので国宝。 |
1909年(明治42年)、京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移築したもの。 襖絵は、1937年(昭和12年)、日本画家・堂本印象が描いた。 |
仁和寺は、真言宗御室派の総本山。 明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡(住職)となった格式の高い寺。 |
京都市右京区御室大内33 ・嵐電北野線「御室仁和寺駅」下車 徒歩約2分 ・京都駅からJRバス:高尾・京北線「仁和寺前」下車すぐ |
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