|
『百人一首』(ひゃくにんいっしゅ)は、百人の和歌を一人につき一首ずつ選んで作られた秀歌撰(詞華集)。 中でも、藤原定家が小倉山の山荘で選んだ秀歌撰は『小倉百人一首』と呼ばれ、「歌がるた」として広く用いられた。 |
『小倉百人一首』が誕生した地・嵯峨嵐山にある美術館。 2006年(平成18年)にオープンした百人一首ミュージアム「百人一首殿堂 時雨殿」が始まり。 2018年(平成30年)に改装されて、嵯峨嵐山文華館としてリニューアルオープンした。 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11 |
『小倉百人一首』の原型は、鎌倉幕府の御家人・宇都宮頼綱(蓮生)の求めに応じて、藤原定家が作成した色紙といわれている。 |
1229年(寛喜元年)、宇都宮二荒山神社に神宮寺が建てられた際、下野宇都宮氏五代当主の宇都宮頼綱は、藤原定家と藤原家隆から襖を飾る障子歌(色紙)を贈られたのだという。 これが『小倉百人一首』の原型と言われている。 |
『百人一首』の一番歌は天智天皇の 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは |
漫画『ちはやふる』のタイトルの元となった在原業平の歌。 業平は、兄の行平とともに紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人といわれる。 |
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに |
絶世の美女といわれる小野小町の歌。 |
やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな |
藤原道隆が通って来ない姉妹のため赤染衛門が詠んだ歌。 |
夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ |
清少納言と藤原行成の贈答歌。 |
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな |
紫式部が幼い頃からの友に出逢ったときに詠んだ歌。 |
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは |
清少納言の父・清原元輔の歌。 |
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに |
河原左大臣(源融)の歌。 融は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人といわれる。 |
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを |
藤原実方が意中の相手に書き送った歌らしい。 実方は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人といわれる。 清少納言の恋人とも。 |
忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな |
藤原道隆が通い始めた頃に詠んだ高階貴子の歌。 |
いにしへの 奈良の都の 八重桜 きょう九重に にほひぬるかな |
紫式部の奈良の八重桜の歌に対する伊勢大輔の返歌。 |
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは 禊ぎぞ夏の しるしなりける |
この歌は上賀茂神社の「夏越祓式」で藤原家隆が詠んだ歌。 |
世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも |
鎌倉幕府三代将軍・源実朝の和歌も選ばれている。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|