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夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ |
「夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねをして門を開けさせようとしても、逢坂の関は開きません(そう簡単にあなたには逢いません)」 『枕草子』~頭の弁の、職に参りたまひての段~にある清少納言の歌。 『百人一首』収録歌。 藤原行成が中宮・藤原定子の部屋に参上し、清少納言と話をしていたが、夜更けになって、翌日が一条天皇の御物忌のため参内。 翌朝、行成から「昔話でもして夜を明かそうとしたのに、鶏の声にせき立てられて・・・」という文が届く。 清少納言は「夜更けに鳴いた鳥は、孟嘗君の鶏のことでしょうか」と返すと、 「孟嘗君の鶏は、函谷関を開いて、三千人の食客がやっと逃げ去ったとあるけれど、これは、あなたと逢った逢坂の関のことですよ」 と返ってきた。 その時に詠んだのがこの歌。 |
逢坂は 人越えやすき 関なれば 鳥鳴かぬにも あけて待つとか |
「逢坂の関は人の越えやすい関ですから、夜明けの鳥が鳴かなくても門を開けて待っているとか」 清少納言に「私は、そう簡単には靡きませんよ」という歌を詠まれた行成は、 「あなたはきっと待ってくれているはずだ」 という意味の歌を詠んだのだとか。 ただ、二人の歌は、本当の恋を詠ったものではなく、大人の遊びの一部。 |
逢坂の関は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。 |
隆円は定子の弟。 行成が最初に出した清少納言への手紙は、隆円が拝んでまでも手に入れたらしい。 後の手紙は定子に渡したのだとか。 |
泉涌寺 |
今熊野観音寺 |
一条天皇の皇后・藤原定子に仕えた清少納言は、その晩年を定子が葬られた鳥辺野近くの東山月輪で暮らしたのだという。 藤原公任の『公任卿集』にもその事が記されている。 東山月輪には、清少納言の父・清原元輔の邸宅があって泉涌寺塔頭の今熊野観音寺付近だったのだという。 |
東山月輪に建てられた泉涌寺には、清少納言の歌碑が建てられている。 |
春はあけぼの~藤原定子と清少納言と枕草子~ |
『百人一首』の一番歌は天智天皇の 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
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