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「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 清少納言は一条天皇の皇后宮・藤原定子に仕えた平安時代の女流作家。 随筆『枕草子』で知られている。 晩年は、定子が眠る鳥辺野近くの東山月輪に隠棲したのだという。 藤原公任の『公任卿集』には、清少納言が東山月輪に返り住んだことが記され、公任は、 「ありつゝも 雲間にすめる 月の輪を いく夜ながめて 行きかえるらむ」 と詠んでいる。 東山月輪には、清少納言の父・清原元輔の邸宅があったのだという。 鎌倉時代になると、東山月輪には月輪大師によって泉涌寺が建てられている。 |
歌碑に刻まれている歌は、清少納言が藤原行成がよこした文に対して詠んだもの。 「夜が明けないうちに、鶏の鳴きまねをして門を開けさせようとしても、逢坂の関は開きません(あなたには逢いません)」 ということらしい。 『百人一首』収録歌。 |
清少納言の歌〜夜をこめて…藤原行成との贈答歌・逢坂の関〜 |
鳥戸野陵は、藤原定子が葬られた地で、泉涌寺の北にある。 |
清少納言の父・清原元輔の邸宅は、泉涌寺の塔頭・今熊野観音寺付近にあったといわれる。 |
清少納言と同族の清原頼業を祀る車折神社には、清少納言を祀る社が建てられている。 |
桜は中宮・藤原定子!〜清少納言が描いた桜は、散らない桜!〜 春はあけぼの〜藤原定子と清少納言と枕草子〜 |
泉涌寺は皇室の菩提所として、天台・浄土・律・禅兼学の道場として栄えた。 御寺の名で知られている。 |
京都市東山区泉涌寺山内町27 JR奈良線「東福寺」駅から徒歩 総門まで15分、大門まで20分 |
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