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鳥辺野(とりべの)は、平安京の三大葬送地の一つ。 鳥戸野とも書く。 東山の六道の辻が鳥辺野の入口とされ、清水寺の南の阿弥陀ヶ峰の山麓付近が中心で、今熊野神社や今熊野観音寺にかけての広い地域だったらしい。 平安時代には、藤原道長・藤原頼通の父子や、道長の娘で一条天皇の中宮・藤原彰子らが荼毘に付され宇治陵に葬られた。 紫式部の『源氏物語』に登場する夕顔・葵の上・紫の上も鳥辺野で荼毘に付されている。 |
藤原兼家の葬送 藤原道長の出家と最期 |
平安時代は、「火葬」されるのは上流貴族のみで、「風葬」が一般的だったことから、疫病が流行った際には、おびただしい数の死体が捨てられていた。 そのため、化野(あだしの)・蓮台野(れんだいの)・鳥辺野・華頂(かちょう)・西院(さいいん)が葬送地として制定された。 制定したのは小野篁。 |
※ | 「風葬」(ふうそう)は、遺体を埋葬せずに放置して自然に腐らせる。 |
六波羅蜜寺・六道珍皇寺・西福寺が並ぶ地は、鳥辺野の入口に位置していたことから、「六道の辻」と呼ばれた。 |
西福寺は、六道の辻地蔵尊と呼ばれ、8月の六道詣のときには「六道絵」が公開される。 |
六道の辻で売られている幽霊子育飴には、若い女が死んだあとに墓の中で出産し、生まれた子を育てるために夜な夜な飴を買いに来たという伝説が残されている。 |
平安時代、疫病が流行すると六道の辻には、多くの死体が捨てられた。 その供養のために空也上人が建てた西光寺が六波羅蜜寺の始まり。 |
六道珍皇寺は、あの世とこの世の境目に建つという寺院。 小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあった福正寺の井戸から帰ってきたのだという(生の六道)。 清凉寺の塔頭薬師寺には、福正寺にあった小野篁の作と伝えられる生六道地蔵菩薩が伝えられている。 紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏の母・桐壺更衣と、妻のひとりだった紫の上の葬儀が行われた寺のモデルとなったらしい。 |
清水の舞台は、清水寺の本堂。 清水寺周辺も鳥辺野の一部だったことから、清水の舞台からは死体が投げ落とされていたのだという。 |
一条天皇の皇后宮・藤原定子は本人の希望により土葬されたのだという。 鳥戸野陵は、円融天皇の女御・藤原詮子(一条天皇の生母)が荼毘に付された地でもある。 定子に仕えた清少納言は、その晩年、定子の墓の近くの東山月輪(今熊野観音寺付近)に住んだのだという。 泉涌寺には清少納言の歌碑が建てられている。 |
浄土真宗の開いた親鸞は、鳥辺野の南の辺、延仁寺で火葬され、遺骨は鳥辺野北辺の大谷に納められた。 |
化野念仏寺 |
千本ゑんま堂 |
化野念仏寺は、弘法大師が野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことに始まる寺。 蓮台野の入口にあるのは千本ゑんま堂は、小野篁が建立したゑんま堂を始まりとする。 化野の愛宕念仏寺は、六道の辻付近にあった寺なのだという。 |
羅城門は、かつて朱雀大路(平安京のメインストリート)の南端に建てられていた大門。 北端には朱雀門、朱雀門を入ると平安宮(大内裏)があった。 都が地震・竜巻・火災・疫病・飢饉などの影響で荒れていく中、羅城門は死体の捨て場となっていたのだという。 |
平安京の羅城門と芥川龍之介の羅生門~死体の捨て場…~ |
「源氏物語ゆかりの地説明板」は、阿弥陀ヶ峰の山頂にある豊国廟参道に建てられている。 |
京都市東山区妙法院前側町 豊国廟参道 |
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